長い球史を彩ってきた野球場。形を変え、今なお現役の球場があれば、さまざまな事情で消えた球場もある。第2回は多くの球団の本拠地球場となった後楽園だ。 
巨人戦はいつも満員で当たり前。プラチナチケットと呼ばれた
戦時中はジャガイモ畑にも
1回休みを挟んでしまったが、
川崎球場編に続き、後楽園球場を紹介する。巨人、
日本ハムをはじめ、多くのプロ野球球団の本拠地になり、数々の名勝負、名場面の舞台となってきた“プロ野球の聖地”である。
スタートは、今回も元編集長・田村大五さん(故人)の話からにする。報知新聞社にも長く勤め、もしかしたら、後楽園球場にもっとも数多く足を運んだ記者かもしれない。
田村さんが後楽園で一番印象的だったと振り返っていたのは、一塁側ベンチ裏の大鏡だった。ベンチの入り口からなだらかな階段を上り切った左側、選手用トイレの入り口の横にあったものだ。試合前の巨人の練習が終わり、ビジターの練習が始まるころ、各社の記者が、この大鏡から数メートル離れた場所に集まった。大鏡の前に立つのは
長嶋茂雄と
王貞治。2人はもちろん、記者も私語は交わさない。2人の体から発せられる空気がそれを許さなかったからだ。
構える、バットを振る。息を吸う、吐く。V9を支えた2人が試合への集中力を高めていく。それは戦いの前の神聖な儀式のようだった。
田村さんは書く。
「あの大鏡はいま、どこの倉庫で身を横たえているのだろうか」
後楽園球場は東京ドーム完成により解体され、跡地には東京ドームホテルが建てられた。大鏡はきっと、ONやレギュラークラスの選手だけではなく、試合に出たくてたまらない無名の代打要員の汗だくの姿も、ずっと映し出していたはずだ。

一塁側ベンチ裏の大鏡。多くのスター選手の陰のドラマがここにもあった
東京ドームと入れ替わっただけとも言われそうだが、1987年をリアルタイムで体験した人は、また別の感慨を持っているのではないか。2つの球場は、隣り合った土地で、一方がまだ試合を続ける中で、もう一方の建造が続いた。消え去るもの、新たに生み出されるもの。2つのコントラストは美しく、そしてある意味・・・
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