8月31日、阪神の谷本球団本部長が会見で「藤川球児今季限りで現役引退」を公表。翌1日、西宮市内で「引退会見」が行われた。2005年に「JFK」という「勝利の方程式」でリリーバーとしてブレーク。ホップする、分かっていても打てない「火の玉ストレート」で、クローザーとして積み上げたセーブは日米通算245。希代のクローザーが22年間の現役生活に幕を下ろす。 2020.09.01 西宮市内ホテル 現役引退会見(一部抜粋)
──引退を決断された率直なお気持ちをお聞かせください。
藤川 プロに入って最初に引退を考えたのが27歳ぐらい。そういうポジションなので、そういう気持ちでやっていましたけど。アメリカで解雇にもなりました。回数は多いですけど、去年終わった段階で、自分へのチャレンジに勝ったという認識なんですよね。あとはチームに貢献する。自分じゃなくても、チームにとって、タイガースにとって、いい選手、使える選手、強いコマとして出てくれる選手があれば、もうそれでいいという思いでやってました。必然というか。1年間体の準備が整わないというのは、プロとして失格ですからね。
──最終的に引退を決断した時期を教えてください。
藤川 時期? 毎日(笑)。8月……、伝えたのは8月ですね。それ以前に球団の方とお会いしてたら、それ以前だったかもしれない。どちらにしても今シーズン限りとは思っていました。
──決断した一番の理由は。
藤川 6連戦中で6試合すべて登板する準備にあたるというのが僕のモットー。この前、今年か、シーズンが始まって準備していく中で連投、2回連投になることですら『アレ?』と思ったんですよね。これは体がおかしいと。例年『お迎えが近いぞ』というのは思ってたんですけど。まあ、前向きに倒れようという覚悟で常にやっていますから、いよいよ来たなあという感じでしたね。
──右腕はどのような状態なのでしょうか。
藤川 状態に関しては、・・・
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