長く過酷な故障との闘い
ルーキー時代に力を蓄え、いよいよカープの主力選手へと成り上がっていった。優勝にこそ縁がなかったものの、個人成績はグングンと上昇。08年から2年連続でゴールデン・グラブ賞(一塁手部門)を手にすると、09年には代替選手として途中合流し、WBCの優勝メンバーとなる。11年には一塁手部門でベストナイン、ゴールデン・グラブ賞の両獲りに成功。だが、ここをピークに下降線をたどることになる。長年酷使し続けてきた肉体が悲鳴を上げたのだった。 
2009年には23本塁打をマークして4年連続で20本超え。通算100本塁打をマークした年でもあった
──数々の個人タイトルを手にする一方で、長く過酷な故障との闘いもあったと思います。
栗原 ヒジは3回手術していて、そのほかにも椎間板ヘルニアなどいろいろとありましたね。でも、ケガをしたことについてはまったく悔いがないんですよ。一生懸命練習してきた中でのことですから。ケガを怖れて練習をセーブしていたら、ここまでの結果を残すことはできなかったと思いますから。
──最後に一軍の試合に出場したのは13年。そこから引退までの3シーズン、一軍での試合出場が一度もありませんでした。
栗原 ちょうど13年に初めてAクラス入りを経験できたんです。でも、後半戦はほとんど二軍にいましたかたら。ほかの選手が一軍で活躍する姿をテレビで見ながら、早く一軍に戻りたいと思っていました。
──それを阻んだのは「変形性右ヒジ関節症」でした。具体的にはどんな状態だったのでしょうか。
栗原 ほかの選手にもあると思うんですけど、長くヒジへの負担をかけ続けると・・・
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