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投手陣のリーダーとして交渉の中心となった吉田修司
プロ野球の歴史の中から、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は2月20日だ。
いまや異次元の年俸総額となっている
ソフトバンクホークスだが、ダイエー時代はそこまで景気はよくなかった。リーグ連覇を飾った2000年オフも主に投手に保留者が続出する。
01年2月20日は、高知キャンプの宿舎で球団側と外国人を除くダイエーの全投手が異例の「団交」を行った日だ。
議論のテーマは、野手に比べ登板試合数などへの評価が低かった投手の年俸の査定基準の変更。
若田部健一、吉田修司らが中心になり球団への要望を説明した。
この際、球団側からは「試合数とイニング数」「連投数」「ブルペンでの待機数」をプラス項目として査定基準に加え、「防御率の基準も下げる」との提示があり、議論は約4時間に及んだ。終了後、吉田は「まだ満足できるものではないので、僕らの要望を球団側が練り直して、もう一度話し合います」と厳しい表情で語っていた。
写真=BBM