本塁打記録の更新ならずも

桐蔭横浜大・渡部はこの秋、神奈川大学リーグで個人シーズン最多タイの8本塁打。また、23打点のリーグ新記録を樹立した。チームの優勝に貢献してMVPを受賞している
4点リードで迎えた、9回表二死走者なし。三番打者が中前打で出塁した。
最後のゲームとなった鶴見大2回戦(10月24日)。仲間が回してくれた、桐蔭横浜大の四番・
渡部健人(4年・日本ウエルネス)のリーグ戦最終打席である。直前の第4打席では、敬遠気味のストレートの四球で歩かされただけに「力が入り過ぎてしまいました……」。2球目をフルスイングしたが打ち損じ、遊飛に終わった。一塁ベースに到達したところで、渡部は頭を抱えている(チームは8対5で勝利)。
「この秋のリーグ戦で初めて(ホームランを)狙いました。25年ぶりですか? 9本目、打ちたかったです。悔しいです」
桐蔭横浜大は10月18日(神奈川大2回戦)に、神奈川大学リーグにおいて2季ぶり12回目の優勝を決めていた。渡部はこの試合での一発を含め、9試合で8本塁打をマーク。この時点でのシーズン本塁打、22打点はリーグタイ記録だった。雨天中止の未消化分であった同24日の鶴見大2回戦では、2つのリーグ記録更新が期待された。不動の「四番・三塁」で出場したこの日は、4回裏一死三塁から内野ゴロ間の得点が打点となり、新記録を樹立。しかし、4打数無安打に終わり、本塁打の記録更新はならず、全日程を終えている。
とはいえ、10試合で8本塁打とは立派な数字である。打率を落としてしまい、打撃タイトル3冠を逃したがMVP、ベストナイン、最多打点、打率2位タイと各種個人タイトルを奪取。「プロになりたい。自分の今できることはやれました」と充実感ある表情を見せた。
今年3月末。渡部の下には、社会人野球10社からオファーが来ていた。桐蔭横浜大・齊藤博久監督には、すべてのチームの練習に参加した上で、最終判断をさせる方針がある。渡部もすべてのチームで汗を流した。そこで下した決断が「プロ一本」だった。
「渡部は優しい性格。こちらから進路について聞こうかと思ったんですが、本人の口から言ってきたのは、意外でした。覚悟を決めたんだな、と」
勧誘のあったチームには、すべて断りを入れた。退路を断った。例年であれば、仮にドラフトで指名漏れの場合でも、その後、採用を考慮してくれる社会人もあるが……。
「しかし、今年はコロナ禍でそうもいかず、枠を減らしている。そのことを説明しても、渡部は『プロ一本』を崩すことはありませんでした。ならば、こちらとしても、後押ししよう、ということになりました」(齊藤監督)
貫いた全力プレー
登録は176センチ110キロ。約3カ月に及ぶ活動自粛期間中に3キロ絞り、動きやすい体をつくった。勝負する姿勢を、体現してみせた。打撃フォームも左足のステップを改良するなどして、タイミングを取りやすいようにした。
「春の内容が悪ければ評価も下がるわけで、中止をプラスにしました。秋には結果を出さないといけないと割り切ることができました」
先述のように今秋の8本のアーチで、狙ったのは1本もない。「とにかくチームの勝利のために、自分は何ができるか。その結果がアピールにつながる。そこの1点に集中しました」。
3年秋までに10本塁打。この1シーズンだけで量産できた、技術的な理由を聞いた。
「シンプルに来たボールを打つだけ。勝手に芯に当たり、飛んでいった」
三塁守備も動けた上で、軽快だ。「心配はない。かつての
村田修一選手(元
巨人ほか)と同様の柔らかいハンドリングをします」(齊藤監督)。渡部もホットコーナーで勝負したい思いがある。運命のドラフトは26日に控える。
「あとは、待ちたいと思います」
リーグ戦最終戦も変わらず、全力プレーを貫いた。飛球を相手外野手に捕球されても、二塁ベースまでトップスピードで駆ける。内野ゴロも当然、最後まで力を抜かない。この日は3球団が視察。何かを感じたはずである。
西武・
中村剛也、
山川穂高のような存在感ある、ファンに夢を届ける右の大砲が目標だ。
文=岡本朋祐 写真=福地和男