
長嶋巨人初優勝の祝勝会。左から筆者、王、長嶋監督
「ええ話やないか」
前回のトレードの話の続きをしよう。1975年オフ、私は
日本ハムから
阪神へのトレードが、ほとんど決まりかけていた。
そんなある日、後援会の会長から東日貿易の久保正雄社長の自宅へ行くように言われ、その久保社長から巨人入りを打診されたのだ。私は驚いたが、巨人が小さいころからのあこがれの球団であることを述べると、久保社長が「よし、決まりだ。茂雄ちゃん、出てきなさい」と言って、奥の襖(ふすま)が開いて長嶋さんが現れた。
巨人入りの話が出ただけでも驚いていたのに、そこに長嶋さんがいるのだから二度びっくりだ。しかも私と久保社長の話をずっと聞いていたことになる。久保社長と長嶋さんが懇意にしていたことは知っていたが、まさかこんな話の展開になるとは夢にも思っていなかった。
75年と言えば、長嶋さんが監督に就任した1年目。巨人は球団初の最下位に沈み、このオフの補強は急務だった。そのために長嶋さんは奔走し、その中で私に白羽の矢が立ったのは容易に想像がついた。ONのNが抜けたことで、
王貞治のマークがきつくなった。そこに私を加えて王の負担を軽くし、打線を活性化させようという狙いだった。何としても優勝できるチームを作りたい、そのために力を貸してほしいと、長嶋さんの熱意は私にもひしひしと伝わってきた。
考えてもいなかった巨人へのトレード。私は興奮を抑え切れないでいたが、その一方で阪神の吉田監督の顔が浮かんで胸が痛んだ。さてどうしたものか。だが、考えたところで仕方がない。正直に自分の口から伝えるしかないのだ。
「お前、それはないだろう!」
それぐらいのことは言われて当然だと覚悟していた。しかし、そのときに吉田監督が口にした言葉は思いもよらないものだった。
「ええ話やないか。君が好きなチームに入れるんやから」
感謝しかなかった。私は受話器を握り締めながら、吉田監督のいる大阪の方角へ何度も何度も頭を下げた。心の底から詫びた。涙が止まらなくて仕方がなかった。私は今でもこの吉田監督からの言葉を、その恩を忘れてはいない。やがて巨人へのトレードが正式に決まった。巨人からは
高橋一三投手、
富田勝内野手の2選手が日本ハムへ行くことになった。
入団会見で「GIANTS」のユニフォームに袖を通したときは武者震いした。感激しながら、同時に不安にも襲われた。今までとは注目度がまるで違う。日本ハムで緩んでしまった体をもう一度鍛え直さなければならない。何としてもONをサポートし、優勝するのが自分に課せられた使命だった。私は35歳になっていたが、不安を吹き飛ばすべく練習に励み、ベストな体調を維持した。主に王の前の三番に座り、安打を量産。翌76、77年と長嶋巨人は2連覇を達成。私も大きく貢献できた自負があったし、張本が巨人に来てくれて良かったとファンに思ってもらえたことが何よりもうれしかった。
「残してあげてください」
2度目のトレードは79年オフ、巨人から
ロッテだが、その前に話しておきたいことがある。
実は久保社長が推してくれた巨人入りに反対している方がいた。当時三菱重工の河野文彦社長だ。巨人には「無名会」という著名な財界人の応援グループがあった。その初代会長を務めていたのが久保社長だったのだが、メンバーのひとりでもある河野社長が私の巨人入りに異を唱えていたのだった。結局、私は入団の運びとなったわけだが、その河野社長から1年目のオールスターゲームの休みだったか、長嶋監督、王とともに食事に招かれたことがあった。
私は少し緊張していたが、席に座ると河野会長から「君に謝らなければならない」と言われた。君はきつい性格でチームの和を乱す人間だと思っていた。だから反対したんだ。でもそれは大きな間違いだった。君はここまで本当に良くやってくれている――私は感激した。体中に電流が走った。「私もこういう性格ですから、河野社長がそう思われたのも無理からぬことだと思います」とお答えしたが、胸のつかえが下りた気がした。
それから4年。私は巨人というチームに骨を埋めようと考えていた。私には大きな目標があった。前人未到の3000安打だ。2連覇のあとチームは2位、5位で私の成績も落ち始めていたが、3000安打まであと39本に迫っていた。私は40歳になろうとしていたが、これくらいなら途中出場や代打でも達成できる。巨人もそれを願っているだろう。しかし、それは甘い考えだった。チームは若返りを図ろうとしていた。
トレード先がロッテに決まりかけていたころ、恒例のシーズン納会が熱海で行われた。大広間に全員が浴衣の丹前姿で集合する。私の隣りには王が座っていた。一通りのあいさつが終わったあと、私は王とともにオーナーの前に行った。優勝を逃したことを詫びたのだが、オーナーから「トレードは君のためを思ってのことだ」と言われた。そのときだった。王がこう言ったのである。
「オーナー、張本君のことを思うのなら残してあげてください」
居並ぶ幹部の人たちも驚くほど強い口調だった。
「君は酒を飲んでいるのか?」とオーナーが言うと、王は「いえ、まだ一滴も飲んでいません。張本君を残してあげてください」と返した。王とはいえ、一選手がオーナーに人事のことで反論しているのだ。私は涙をこらえるのに必死だった。
だが、これ以上、王に発言をさせてはいけない。そう思った私は王の丹前の袖を引っ張り、もういいよ、ありがとう、席に戻ろうと促した。正直、巨人を出ることに少しわだかまりのあった私だが、この王の言葉ですっきりした。もう思い残すことは何もないと巨人を去ることができた。
最初のトレードに比べると、2度目のトレードは寂しいものだったが、それでも王の言葉が聞けてうれしかった。巨人入りを喜んでくれた吉田監督、河野社長の謝罪……野球選手にトレードは付き物だが、私はその際に温かい言葉をかけられた。それが今でも強く心に残っている。
PROFILE 張本勲/はりもと・いさお●1940年6月19日生まれ。
広島県出身。左投左打。広島・松本商高から大阪・浪華商高を経て59年に東映(のち日拓、日本ハム)へ入団して新人王に。61年に首位打者に輝き、以降も広角に打ち分けるスプレー打法で安打を量産。長打力と俊足を兼ね備えた安打製造機として7度の首位打者に輝く。76年に巨人へ移籍して
長嶋茂雄監督の初優勝に貢献。80年にロッテへ移籍し、翌81年限りで引退。通算3085安打をはじめ数々の史上最多記録を打ち立てた。90年野球殿堂入り。現役時代の通算成績は2752試合、3085安打、504本塁打、1676打点、319盗塁、打率.319。