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石田雄太の閃球眼

石田雄太コラム「選手の気遣いに救われたキャンプ取材の原点」

 

1989年、沖縄で行われた中日の二軍キャンプで、落合博満[写真左]の取材体制は筆談となったが、“気遣い”に救われることに[写真=BBM]


珍妙な取材体制となった舌禍事件で筆談キャンプ


 ノンフィクション作家の長谷川晶一さんと沖縄キャンプについて語り合った。長谷川さんとお目にかかるのは初めてで、何日か前からワクワクしていた。名著『詰むや、詰まざるや』に描かれたスワローズとライオンズの日本シリーズには個人的な思い入れもあって、とても興味深く読み耽っていたので、長谷川さんには訊いてみたいことが山積みだった。

 しかしながら、今回は時間が限られていて、野球の話もそこそこに沖縄の美味いものを語り尽くす長谷川さんとの沖縄めしトーク(笑)に集中しなければならなかった。そんなグルメてんこ盛りの『沖縄周遊のススメ』はこの号のページをめくって探していただくとして、ここでは沖縄キャンプにまつわる昔話にお付き合いいただきたい。

 今回、編集担当者から「沖縄キャンプの取材歴は何年ですか」と訊かれた。記憶を紐解くと、初めて沖縄キャンプの取材に行った日のことはハッキリと記憶している。あれは今から35年前の1989年2月4日、土曜日のことだ。当時はNHKに入って1年目の新米ディレクターで、日曜夜の『サンデースポーツスペシャル』を担当していた。翌5日、日曜夜の放送へ向けて、番組デスクからあるミッションを命じられたのである。

 それは「落合博満の肉声を撮ってこい」という“無茶ぶり”だった。なぜこれが無茶ぶりなのかと言えば・・・

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石田雄太の閃球眼

石田雄太の閃球眼

ベースボールライター。1964年生まれ。名古屋市立菊里高等学校、青山学院大卒。NHKディレクターを経て独立。フリーランスの野球記者として綴った著書に『イチロー・インタビューズ激闘の軌跡2000-2019』『大谷翔平 野球翔年』『平成野球30年の30人』などがある。

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