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あの日、あのとき、あの場所で 球界の記念日にタイムスリップ

<1974年8月18日>今はあり得ぬ珍事件! 同一人物が同一試合で勝利投手とセーブを記録

 

その試合の写真は弊社に残されていない。日生球場でのビジターの試合なので当日の高橋直樹はブルーのユニフォームだったはずだ


セーブの規則が誕生した年の出来事


 僅差で勝利している最終回、抑え投手がマウンドに上がる。相手打線を抑えてゲームを終わらせたとき、その投手が手にするのがセーブだ。このセーブを記録するにあたり、公認野球規則が定める条件はいくつかある。最もなじみ深いのは「自チームが3点リードのときに出場して、しかも最低1イニングを投げた場合」というものだろう。その他の条件の中にはこういったものもある。セーブが与えられるのは「勝投手の記録を得なかった投手」であると。当たり前ではないかと思われるかもしれない。勝利投手の権利を守った別の投手に付くのがセーブであろうと。

 1974年、日本プロ野球にセーブ制度ができたとき、この一文は存在しなかった。なぜこの「当たり前」の一文がわざわざ追加されたのか。それはこの年、勝利とセーブにまつわる、後にも先にもただ一度の珍記録が誕生したからだ。

 74年8月18日、日生球場にて近鉄対日本ハムのダブルヘッダーが行われた。その第2戦、日本ハムの先発はアンダースローの高橋直樹である。高橋は早大に在学していた67年、ドラフト3位で当時の東映に指名された。しかし体力に自信がなかったため入団を断り、一旦日本鋼管に進む。そこで自信を付けた高橋は、68年のドラフト前に・・・

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