投げるたびに、その話題はヒートアップしている。20年に1人の逸材左腕・松井裕樹(桐光学園高)には、何球団が競合するのか──。その比較対象となるのは、4年目にしてブレークした同じサウスポーで6球団が競合した菊池雄星(西武)だろう。そのほか、過去のドラフト1位“競合伝説”を紐解いていきたい。 ▲8球団の指名を受けた野茂の元には近鉄・仰木監督が駆けつけ、入団の運びとなった
史上最多の「野茂」連呼
その後は拒否の選択も…
競合でまず思い出されるのは、年号が平成ヘと変わって最初のドラフト、1989年の
野茂英雄(新日鉄堺)だろう。司会進行役のパンチョ伊東(一雄)さんの「野茂英雄!」の連呼は、今でも野球ファンの耳に残っているはずだ。このときは近鉄、
ロッテ、大洋、
日本ハム、
阪神、ダイエー、
ヤクルト、
オリックスが競合。最後にクジを引いた近鉄・
仰木彬監督が当たりを引き当てるという劇的なものとなった。また、“外れ1位”の顔ぶれも興味深い。ロッテの
小宮山悟(早大)、大洋の
佐々木主浩(東北福祉大)、ヤクルトの
西村龍次(ヤマハ)など、一流選手がそろう豊作年だった。
翌90年にも左腕・
小池秀郎(亜大)に8球団が重複した。ロッテ、阪神、ヤクルト、
中日、日本ハム、近鉄、
広島、西武が争ったが、ロッテが交渉権を獲得。だが・・・
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