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二塁×遊撃 魅惑のコンビネーション

歴代“名二遊間”カタログ 受け継がれる匠の技術【1936年〜74年】

 

プロ野球ではこれまで、数々の名二遊間が誕生。最大の見せ場である併殺プレーでは、華麗かつスピード感あふれるコンビネーションで時代を彩ってきた。ここでは編集部が厳選した31組を紹介。相棒を代えての唯一の複数選出は、阪神吉田義男だ。
※二遊間の年数は、同時に球団に在籍していた時期を表し、年代順に掲載。守備成績は当該ポジションでの通算成績。他ポジションでの成績は含まない

一、二番コンビの元祖


苅田[右]、中村[左] 東京・東京セネタース・翼・大洋36〜42年


苅田久徳(二塁)
成績:760試合、4943守備機会、197失策、671併殺、守備率.960

中村信一(遊撃)
成績:136試合、721守備機会、71失策、80併殺、守備率.902

「苅田の前に苅田なく、苅田のあとにも苅田なし」と言われた法大の名遊撃手が、アメリカ遠征を機に二塁守備に目覚めた。36年に東京セネタース入りすると、大学の後輩・中村を中退させて二遊間コンビを結成。以来、鉄壁の内野陣を形成した。守っては二遊間、打っては一、二番の潮流はその後も続き、2000年代の「アライバ」の元祖とも呼べる存在だ。

黄金時代に攻守で貢献


岡本[右]、木塚[左] 南海49〜56年


岡本伊三美(二塁)
成績:1093試合、4917守備機会、147失策、538併殺、守備率.970

木塚忠助(遊撃)
成績:1204試合、6602守備機会、406失策、646併殺、守備率.939

「バカ肩」と呼ばれた強肩遊撃手・木塚が争奪戦の末、48年に入団すると、翌年に岡本がテスト生として南海入り。山本一人(のち鶴岡一人)兼任監督の後継者として岡本が52年に二塁のレギュラーとなり、このコンビが誕生した。木塚は49年から4年連続盗塁王、岡本は53年にMVP、首位打者と数々のタイトルを手にし・・・

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