国指定の難病を乗り越え、どんな場面でも腕を振るかつての守護神の姿がマウンドにある。自分を見つめなおした時間が、新たな視点のヒントをくれた。右腕は確かに強くなって戻ってきている。 取材・構成=武石来人 写真=大賀章好(インタビュー)、BBM 経験した今だからこそ
開幕からセットアッパーとして期待され開幕一軍で迎えた2022年。右腕は春先から腰の重さや足の痺(しび)れを感じていた。しかし、責任感からそれをかばいつつ腕を振り続けた。無理な投球に今度は、右肩が悲鳴を上げる。5月上旬に離脱し、6月には黄色靭帯(じんたい)骨化症と診断された。しかし、8月に靱帯骨化切除術に踏み切ると一気に視界が開けた。あの痺れや重さに明らかな変化があった。苦難を乗り越え、今、再び横浜の地で腕を振っている。 ──術後の痺れや痛みに怖さもあったかと思います。
三嶋 右肩については人生で初めて痛めたのですが、術後の怖さに関してはまったくなかったです。それよりも、術前は痺れで歩いたり、普段の生活を送ることのほうがつらかったので……。そこが術前と全然違いましたね。受けてよかったと思っています。
──術後に、何か制限や気をつけなければいけないことはあったのでしょうか。
三嶋 術前に無理をして動いていたので、痛みが出ないように動くことに体が慣れてしまっていました。その動きのクセが最初はなかなか取れなくて。それをニュートラルに戻す作業が大変でしたね。体にメスを入れたのは初めてだったので、傷口が固くなることの対処もありました。
──術前と術後で意識にどんな変化がありましたか。
三嶋 術前よりも“今できることを丁寧にやる”意識を大事にするようになりましたね。もちろん今もマウンドで自分のスタイルを表現しようとしていますが、術前はそれに加えて、とにかくいいものを見せよう見せよう、という思いが先行していました。ただ、今は、現在の自分をしっかり理解して、できることを全力で丁寧にやろうという考えです。それも手術をして、自分の体と向き合ったからこそ出てきた意識だと思います。
──3月5日のオープン戦(対
西武)が横浜スタジアムでの復帰後初登板でした。状態がかなり仕上がっていた印象です。
三嶋 実は、オフの間も体のスイッチは切らなかったんです。例年であれば、休みに充てる12月も、DOCK(横須賀市の二軍施設)でリハビリや練習をしていました。また一からのスタートだと思っていましたし、プランが立てにくい状況でもあったので。
──調整過程は例年よりも早かった?
三嶋 そうですね。春季キャンプに入る時点で、自分の8割以上の力で投げられるようにとは思っていました。そこから、オープン戦でほかの若い投手たちと一緒にアピールすることを目標に置きました。
──昨年は中継ぎ陣で
伊勢大夢投手や
入江大生投手ら若手が結果を残しました。
三嶋 今までのベイスターズの中継ぎ陣は・・・
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