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プロ野球90年特集 球団別最強四番&ベストナイン

超スラッガーの肖像 「12+1」球団別“最強四番”は?【セ・リーグ編】

 

ラインアップの真ん中に座り、打線をけん引した四番は球団の顔と言える。現存する12球団に加え、2004年に消滅した大阪近鉄から“最強四番”を編集部が独断で選出。永遠に記憶に残るスラッガーのすごさとは──。
写真=BBM
【パ・リーグ編】はこちら

巨人・川上哲治 ONを上回る四番としての存在感


川上哲治[内野手]1938-1942


【球団在籍時成績】18年=1979試合、2351安打、181本塁打、1319打点、打率.313

 第7代四番は戦前から戦後にかけて、第25代長嶋茂雄の1460試合、第28代王貞治の1231試合を上回る球団歴代最多の1658試合で四番を務めた。投手として入団したが、すぐに野手に専念。1939年には9打数連続安打もあって19歳にして首位打者と打点王に輝き、圧巻の打球スピードは「弾丸ライナー」と称えられた。42年途中に応召。46年から復帰を果たすと「赤バット」を手に「青バット」のセネタース・大下弘とともに戦後復興の代名詞的存在に。50年にさらなる覚醒を遂げ、その感覚は「球が止まって見えた」という。翌51年には打率.377で首位打者に輝き、三振はわずか6。四番としての通算打率も長嶋の.314、王の.315を上回る.317を記録した、まさに「巨人の四番」だった。

中日・江藤慎一 貫録十分だった右のスラッガー


江藤慎一[捕手、内野手、外野手]1959-1969


【球団在籍時成績】11年=1416試合、1484安打、268本塁打、845打点、打率.292

 九州の社会人の強豪、日鉄二瀬から強肩強打の捕手として入団。1年目にして5試合ながら四番に座り、3年目の1961年から8年にわたって竜の四番を務めた。捕手から外野手に転向したことで打撃に磨きがかかり、メジャー・リーガーのような豪快なスイングで長打を連発しつつ、64、65年と2年連続の首位打者に輝くなどアベレージも残せる四番だった。ちなみにこのタイトルはどちらも王貞治(巨人)の三冠王を防いだ意味でも価値あるものだった。1009試合に及ぶスタメン四番は球団歴代トップ。中日60年代の四番だが、その間に一度も優勝できなかったのは残念。“闘将”と呼ばれた男は移籍したロッテでも勝負強い打撃を見せ、両リーグで首位打者を獲得した初めての選手となった。

広島・山本浩二 最後まで全うした「ミスター赤ヘル」


山本浩二[外野手]1969-1986


【球団在籍時成績】18年=2284試合、2339安打、536本塁打、1475打点、打率.290

 地元・広島が生んだ偉大なるヒーローだ。1年目からレギュラーとして活躍し、ここ一番で勝負強さを発揮。四番打者として定着し始めたのは、1975年の6月下旬から。そして、この年が、球団にとっても、山本浩二にとっても転機となる。悲願のリーグ初優勝の立役者は、打率.319、30本塁打を記録して首位打者を獲得、MVPにも選ばれた。「ミスター赤ヘル」と呼ばれるようになり、77年からは5年連続で40本塁打以上をマーク。本塁打王にも4度輝いたスラッガーは、年齢を重ねても力強いスイングが衰えることなく、最後の最後まで四番を担い、それに恥じない働きでチームの象徴であり続けた。だからこそ、背番号「8」は永久欠番となり、「ミスター赤ヘル」は今もなお、地元に愛されている。

横浜・R.ローズ 在籍8年で7度の打率3割超え


ロバート・ローズ[内野手]1993-2000


【球団在籍時成績】8年=1039試合、1275安打、167本塁打、808打点、打率.325

 自身は四番ではなく五、六番タイプと話すが、横浜が誇る“マシンガン打線”の心臓部だったことは間違いない。在籍8年間の通算打率は.325で7度の打率3割超えをマークし、平均打点も101と勝負強さも際立つ驚異のクラッチヒッター。1998年の西武との日本シリーズでの活躍は印象的で、打点を挙げた第1、2、5戦すべてでチームは勝利。一発を打てるパワーを持ちながらも、打線の屋台骨として「走者をかえす」仕事人でもあった。打撃部門のタイトルだけで、首位打者(1999)、最多安打(99、00)、打点王(93、99)、最高出塁率(97)、最多勝利打点(94)。さらに歴代最多のサイクルヒット3度をマークする、まさに球団における歴代最強助っ人だった。

阪神・金本知憲 努力で築いた「鉄人・四番」


金本知憲[外野手]2003-2012


【球団在籍時成績】10年=1394試合、1360安打、232本塁打、813打点、打率.283

 FA移籍した2003年は三番打者として18年ぶりのリーグ優勝に貢献。「阪神の四番」になったのは04年、岡田彰布監督となってからだ。この年の7月に左手首に死球を受け、軟骨損傷と診断されるも翌日の試合では代打で登場し片手1本でライト前へヒット。連続試合出場を継続し、113打点で初の打点王を獲得した。05年は40本塁打、125打点で2年ぶりの優勝に大きく貢献。また2011年まで1766試合連続出場を果たすなど「鉄人」と称された。広島時代は体が細かったが、たゆまぬ努力と筋力トレで日本を代表する打者に。昨季は忍耐強い四番打者として38年ぶりの日本一へ導く活躍を見せた大山悠輔は、金本が監督時代に単独1位指名。金本が築いた四番像の系譜をつないでいる。

ヤクルト・村上宗隆 天井知らずの「令和の三冠王」


村上宗隆[内野手]2018-


【球団在籍時成績】6年=693試合、670安打、191本塁打、514打点、打率.276

 入団2年目の2019年に36本塁打を放ち新人王を獲得すると、翌年からは不動の四番に。4年目にはチームをリーグ制覇&日本一に導き、セ・リーグ最年少21歳でリーグMVPも受賞した。四番打者を「チームの勝ちに直結するポジション」と表現する主砲は、22年には日本選手最多56本塁打、令和初の三冠王に輝く活躍で、リーグ連覇をもたらすとともに2年連続リーグMVPを手にした。三振を恐れぬ豪快なスイングで、スタンドに架けたアーチは6年間で191本。その勢いはまだまだとどまることを知らない。侍ジャパンでも四番を任されるなど、「日本の四番」でもある男は、2月2日に24歳を迎えた。2度目の三冠王獲得を目指しつつ、これからもチームの勝利のために打ち続ける。
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