週刊ベースボールONLINE

2020社会人野球監督クローズアップインタビュー

澤村幸明(日本通運監督) 勝負師の風格 修羅場を戦い抜く準備と集中力

 

社会人野球で13年プレーした後、社業に4年間、専念した。指導者経験がない「新監督就任」は異例の人事だ。抜てきするだけの人としての器があり、過去の実績も十分。1年目から結果だけを追い求めていく。
取材・構成=岡本朋祐、写真=BBM

今年1月1日付で、新監督に就任。新型コロナウイルスの感染拡大により、活動は制約されるが、モチベーションの維持に努めている/写真提供=日本通運野球部


 ゴールデンウイークの深夜。ビデオ録画はしていたものの、やはり、“生”で視聴してしまった。96年夏、甲子園決勝の特集番組である。

 松山商高(愛媛)との頂上決戦。2対3の9回裏二死走者なしから、起死回生の同点アーチを放ったのが熊本工高の1年生・澤村幸明だった。初球を振り抜いた打球は、左翼スタンドへライナー性の鋭い当たり。熊本工高は10回裏一死満塁の好機を迎えるものの、伝説の「奇跡のバックホーム」に阻まれた。11回表、好返球をした矢野勝嗣からの攻撃で、澤村は左翼前の打球処理を誤り(記録は二塁打)、その後、3点を勝ち越され、初の全国制覇を逃している。24年前、16歳の球児は甲子園で明と暗を味わった。映像で何度も見たシーン。当事者は、あの修羅場を忘れない。

「面白かったですね。まるで、他人事のように見ていました(笑)。本当に自分が打ったの? と疑ってしまうくらいです。一つひとつのプレーに感情をむき出し。あの夏、私も無我夢中でした。悔しさも経験させていただき、あの試合があったから、ここまで野球を続けることができたと思います。仕事の営業先でも、話のネタとして使わせていただくことも結構ありました」

1996夏甲子園

熊本工高では1年夏、松山商高との甲子園決勝で9回裏に同点弾


3試合で気づいたこと


 今年4月で40歳。1月1日付で日本通運の監督に就任した。法大を経て、同社では13年プレーし、好打の遊撃手として活躍。13年、一度も途切れることなく都市対抗(補強選手2度)の舞台を踏み、社会人日本代表としてのキャリアもあり、国際経験もある。15年で現役を退いた後は社業に従事。倉庫で荷物の取り扱い、お客さんを相手にした電話対応、さらには営業と会社の最前線で働いた。

「野球以外の部分、社会人としてスキルを上げるためには、重要な4年間でした。これまで東京ドーム(都市対抗)で応援してくれた社員、また、野球を見たことがない社員と話をする機会もありました。野球部に在籍している間は、どうしても出社する時間は限られるのですが、今の現役選手にも積極的にコミュニケーションを取って、名前を覚えてもらうように、という話はいつもしています。会社があっての自分。いま、このような状況でも頑張って仕事をしているわけで、この困難を皆で乗り越え、私たちはまずは野球で成果を上げて、喜んでもらいたいと日々、活動しています」

 東京・町屋にある支店から首都圏支店(総務)への内示が出たのが昨年9月20日だった。この異動は野球部復帰への“伏線”であることは、過去の例を見ても明らかであった。25日、野球部長と籔宏明前監督と会うと、監督就任の打診を受けた。

「まさか、監督とは・・・

この続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。

まずは体験!登録後7日間無料

登録すると、2万本以上のすべての特集・インタビュー・コラムが読み放題となります。

HOT TOPICS

HOT TOPICS

球界の気になる動きを週刊ベースボール編集部がピックアップ。

関連情報

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング