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平野謙の「人生山あり谷あり、感謝あり」

平野謙コラム 第6回「全打席バントなら打率5割?」

 

“エンドランホームラン”の平野[右]。確かに顔が引きつっている


なぜバントが増えたのか


 1982年からセンターのレギュラーになったんですが、打順は最初から二番で、当時のシーズン日本新記録だった51犠打をマークしています。なぜバントが増えたか? サインですし、自然にでしたね。バントがうまかったから? いやいや、ただ打てなかったからでしょ(笑)。

 近藤貞雄監督がバントを多用するタイプだったこともありますし、チームが優勝争いをし、しかも一番の田尾(田尾安志)さんの出塁率が高かったこともあるでしょう。田尾さんが大洋の長崎(長崎啓二)さんと首位打者争いをし、優勝が決まる最終戦なのに(大洋戦。横浜)、5連続敬遠をされたシーズンです。

 確か、開幕からバントのサインばかりだったわけじゃないと思います。シーズンに入ってしばらくは、僕もけっこう打っていましたしね(4月の月間打率は.348)。1カ月くらいしてから、コーチの黒江(黒江透修)さんに、「田尾は、どんどん塁に出るから、お前はバントを練習しろよ」と言われ、本格的に練習を始めたように記憶しています。

 バントの練習自体は、その前からよくやっていましたよ。バッティングには自信なかったし、僕にとっては、試合に出るための武器でもありましたからね。ただ・・・

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