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平野謙の「人生山あり谷あり、感謝あり」

平野謙コラム 第8回「日本シリーズと石ころ」

 

打球が“石ころ”に当たった瞬間、左は一塁手の田淵幸一


くだらんことを……


 1982年ですか……。あのとき、名古屋の街は、ずいぶん盛り上がっていましたね。

 選手もみんな、もちろん僕も、優勝したいという思いはすごく強かったんですけど、はっきり言えば、終盤まで優勝する可能性は低かった。巨人が強かったですからね。ドラゴンズは8月末に一度首位に立ちましたが、すぐ抜かれた。一時はもう無理かなと思ったら、向こうが勝手に落ちてきただけです(笑)。

 雰囲気が完全に変わったのは、9月28日、ナゴヤ球場の巨人戦でしょう。3連戦の初戦で、4点差を9回裏に追いつき、10回裏にサヨナラ勝ちした試合です。自分が活躍したわけじゃないけど、一番印象に残っている。結局、2勝1敗だったけど、あれでドラゴンズにマジックが出たんじゃないかな。

 巨人の先発が江川(江川卓)で、俺は出てないんじゃないかと思います。途中交代? へえ、代わったのは豊田(豊田誠佑)でしょ。僕はレギュラーではあったんですが、江川の登板のときはあいつに代えられることが多かった。江川と相性がよく“江川キラー”と呼ばれていたんですよ。

 あの年、僕と江川の対戦成績はどうなっていますか? 22打数2安打、5三振、.091。そりゃ、使ってもらえませんね。豊田は? 12打数2安打、.167? 意外と微妙な勝負でしたね(笑)。

 やっぱり江川の球は速かったですよ、特にあの年までは。翌年以降は肩を痛めて、少しずつ落ちていたようですけどね。巨人は西本(西本聖)、定岡(定岡正二)もいて、三本柱と呼ばれた時代ですが、正直、ほか2人も含め、あまり打席での記憶はないんですよね。

 そうだ、1つ思い出しました。

 西本相手のときですが、送りバントをしたとき、一塁のライン際に転がしたんですよ。回転からすると確実にファウルゾーンに切れる失敗。あいつもそう判断し、見送ったんですが、転がっていた球が・・・

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