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ドラフト会議まで1カ月ちょっととなったが、ドラフトと言えばこの人。“パンチョ”が明かす「あのひと言」の真実

 


 今年のドラフト会議は10月22日の開催。ドラフト会議と言えば、われわれの世代だとまずこの人の名が一番に挙がる。そう、“パンチョ”伊東一雄さんだ(元パ・リーグ広報部長。故人)。あの、「第1回選択希望選手、阪神……」の名調子。かつての相撲の呼び出し小鉄を思わせるホレボレするような芸だった。声は小鉄のようなハイトーンではなく、巻き舌のベランメエ。これがまたよく通った。

 と書いてきて、ハテ、伊東さんの名調子、いつまで聞くことができたのか、と思い出してみると最後の晴れ舞台は1991年のドラフト。もう24年も前のことになる。若い読者は、伊東さんの声も顔も知らないかもしれない。当方だって24年も前の記憶はおぼろにかすむ。往時茫々――。

 しかし、茫々とならずに、いつまでも鮮明なのは、あの「性はセックスの性」の、いわゆる“字解き事件”だ。ただこれについては伊東さん、いつも“不満”を表明していた。「週ベ」の91年12月9日号に「最後の司会役を終えて…」という手記を寄せてくれたが、その中にこうある。

「……76年の阪神1位・益山性旭(帝京大)を『性はセックス』とやって、大爆笑を買ったことになっている。しかし、1位は当時、書き初めのような大きな紙が貼り出されたので、字の説明は必要なかった。その4年前、72年の時、高校生(大阪福島商高)の彼が、大洋に4位指名されている。実はこの有名な『カナ4文字事件』はその時のことだったのである。それがあまりにも、のち阪神に入団した当時の1位指名の書き初め札の印象が強烈だったため、あえて否定もせずに、そのままになってしまったのだ」

 ウ〜ン、そういうことだったのか。

 伊東さんは芥川龍之介の後輩であることを誇りにしていた。出身校の両国高は、旧制の府立三中。芥川はここに学び、旧制一高-東大と進んだ。

「僕は事情があって大学は行かなかったけど、当時は、早慶志望の生徒なんか小さくなっていたもんさ」と伊東さん。米軍放送のFENを聴いて英会話をマスター。阪急のスペンサー(彼が“パンチョ”の命名者)に「お前、アメリカに何年いた?」と言わせたほどの上達だった。写真は最後のドラフト会場での伊東さん。
おんりい・いえすたでい

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過去の写真から野球の歴史を振り返る読み物。

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