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阪神が低迷期だった90年代からAクラスの常連になる2000年代までを、共に駆け抜けた桧山進次郎氏と濱中治氏にインタビュー。伝統あるチームの4番を任され、代打としても活躍したお二人には、下位が指定席だったチームがどうやって優勝できたのか、じっくり語っていただいた。

自分たちがゲームに登場したら、球界一の選手に育ててください!!



――「プロ野球チームをつくろう!」を見ていただき、いかがでしたか?

桧山 現役選手も引退したOBも一緒にプレイできる、世代を超えたゲームっていいですね。

濱中 僕たちが少年時代に流行ったゲームと比べて進化していることに驚きます。当時の野球ゲームといえば、自分たちで選手を動かすタイプが中心だったけど、野球つく!の場合は、僕らがオーナーになるんですもんね。ここがとても新鮮。

――お二人がオーナーになったら、どんなチームを作りたいですか?

桧山 まずは自分を4番に座らせます。自分で自分自身を育て、どれだけ活躍するか見てみたい。投手陣も揃えたいので、エースにはレジェンドの村田(兆治)さん、北別府(学)さん、江川(卓)さんなどが魅力的。村田さんのフォーク、北別府さんのコントロール、江川さんの速球をそれぞれ磨くなど、ピッチャーは長所を伸ばしていく。他にも、リアルな世界では成し得なかったスキルを磨くのも楽しそう。自分だったら、走力を伸ばして盗塁王を目指す!とかね。

濱中 僕の場合は、まだレジェンドにはなっていませんが、原(辰徳)さんを4番におき、打って勝てるチームにしたい。このゲームは、選手を強化すればするほど強くなるってところがリアルですよね。

桧山 現実の世界も練習したモン勝ちだからね(笑)。というわけで自分たちがゲームに登場したら、球界一の選手に育ててください!!

――では、お二人が現役時代の頃のお話をうかがいます。90年代、6位が指定席と言われていた阪神でしたが、当時のチームの雰囲気はどうでした?

桧山 プロ野球選手になったら、誰でも優勝を目指して頑張ろうと思うんです。でも、実際にプロの世界に身を置くと甘くないってことが分かる。80年代後半から成績が低迷していて、自分が入団した91年は6位。そんな中、負け試合が続くと、あぁ、俺らやっぱダメだなー、優勝なんて無理やなっていう雰囲気になっていくんです。

濱中 あの頃は5月も後半になると、球場は閑古鳥が泣いてましたよね。

桧山 お客さんが少ないと、やじがよく耳に入る(笑)。選手は、モチベーションをどう保つかが本当に難しかった。下位を独走していると、個人記録を狙うことにシフトしていくしかないんです。

濱中 優勝を狙えるチームになったときは、モチベーションが高いので緊張感が違いました。これは、優勝したからこそ言えますけど、弱いチームのままだったらモチベーションの違いはわからなかったです。

――2003年、ペナントレースで優勝した年のチームの雰囲気は激変しましたね。

濱中 それはもう!! 別のチームなのかっていうくらい変わりましたね。きっかけは、2002年に星野さんが監督に就任されたとき。「お前らに勝つ喜びを教えてやるからついてこい!」って、喝を入れられましてね。負けることが当たり前になっていた僕たちでしたが、その一言で、頑張ってみよう!って。

桧山 チームのキャッチフレーズが「never never never surrender(決して諦めない)」だったのもよかった。星野さんがいらっしゃる前は、諦めるのが早かったんで(笑)、自分らにはもってこいでしたよね。

濱中 元々野村さんが監督のときに、選手の意識もだいぶ変わり、土台作りができていたところに、星野さんに喝を入れられて、選手のやる気スイッチが完全にONになりました。ストレートにバーンと選手を叱ったり、褒めたりするのが、当時のチームカラーにあっていたんでしょうね。僕自身もとってもプレイしやすかったです。なんとかして星野さんを胴上げしたい、強くなりたいという気持ちになっていきましたね。

――星野さんが監督に就任した1年目の2002年の順位は4位でした。

濱中 ケガ人が多い中でも、ペナントレースで4位に入ったというのが大きな自信になりましたね。今までどんなに頑張っても最下位でしたから。

桧山 6位から4位になった時点でいけるんちゃうか?って思いました。2003年は、ケガ人が出ても他の選手がサポートし、調子が悪い選手がでてきても他の調子のよい選手がカバーしたりして、みんなで勝ち星を重ねていけました。



濱中 今岡さんなんかも、一気に才能が開花しましたもんね。星野さんに「お前はできるんや!」って言われて、自信をつけていきましたもん。

――2003年は、濱中さんが開幕4番打者でスタートを切りました。伝統的なチームの4番に座るのは、相当なプレッシャーがあったのでは?

濱中 実は、僕が4番を打つということには、裏話がありまして……。星野さんが僕を指名してくださったと思っていたのですが、去年、金本(知憲)さんに「当時、星野さんにお前が4番を打てって言われたんだけど、“伸びしろのある若手にチャンスを与えてください”って言ったんよ」と、言われまして……。僕は4番を打たせて頂いたという事実を知り、改めて金本さんに感謝しましたね。



桧山 以前、自分が4番を打った時も同じ様に自己犠牲してランナーを進めていたんで、僕は金本ちゃんに「何も気にせず思い切り打っていいよ」と言ったんです。

濱中 自分を犠牲にすることをいとわない方でしたから、2003年の開幕前に金本さんに呼ばれ、「俺の打席(3番)でランナーが2塁にいたら、俺が3塁に進めてやる。そしたら、残ったランナーを全部返せ」って。それを聞いて、4番としてちゃんと成長していかなあかんなって、思いました。星野さんにも、「今季は、お前を4番から外さないからな。どんだけ成績が悪くて絶対に外さへんからな。どうやったら乗り越えられるか、自分で考えろ」って言って頂いて。未だに印象に残ってますね。

桧山 濱ちゃんに相当期待してたと思う。ケガしたとき、星野さん、相当怒ってたもんな。ベンチで見てて、未だに目に焼きついてるわ。金本さんは、広島から移籍してきて、あとは優勝するだけ!! って、気持ちがあったからこそ、どうやったら勝てるかってことを考えてたと思うのよね。チームが勝つためにはどうしたらいいかって。





――2003年は、お二人が初めて経験する日本シリーズ。相手は王監督率いる福岡ダイエーホークスでした。

桧山 ペナントレースとは全くの別モンなんですよね。自分は、プレッシャーに押しつぶされそうになり、胸が苦しかったです。ここまできたら日本一になりたいって、強く思いましたよ。セ・リーグ代表として下手な試合は見せられない、勝ちたいって。だから、2連敗して甲子園に戻ってきたときは、どうしよっ、このまま終われない!っていう気持ちでいっぱいで。ランナーがセカンドにいるときには、「絶対に打たなあかん!」って思ってました。

濱中 僕は、シーズン当初にケガしていたので、日本シリーズに間に合うと思っていなかった。そんな中で出場できたので、めちゃくちゃ嬉しかったですね。もしかしたら、僕一人だけ、違う気持ちで望んでいたのかも。

桧山 日本シリーズって、何とも言えない独特の雰囲気があるんです。試合前から、球場のお客さんの様子も違う。今シーズンのタイガースは、ペナントレースの成績が2位で日本シリーズに出場したから、気持ち的には楽だったと思いますよ。

濱中 ソフトバンクの方が力んでましたもんね。結果的には、実力を出し切って優勝しましたけど。

桧山 これは僕の考え方なんだけど、やっぱり、セ・パの優勝チーム同士が、意地と意地をぶつけ合って戦わないといけないと思うんです。今年、もし、日本ハムと阪神が戦ったらどうなるの?って、心の中で思ってました。だって、日本ハムは3位で首位と6.5ゲーム差、阪神は7ゲーム差をつけられたわけでしょ? そんなチーム同士が日本シリーズで戦って優勝したところで、選手は素直に喜べないはず。

濱中 気持ちは複雑ですよね。

桧山 今回の阪神のようにクライマックスのファーストステージで勢いがついたチームにとって、ファイナルステージの1勝のアドバンテージなんてあってないようなもの。144試合を戦うのって本当に大変で、この苦しみは選手じゃないと分からない。だからこそ、ペナントレースを戦って優勝したチームをたたえてあげないと。

濱中 ペナントレースで優勝したチームは、ファーストステージには参加しないから試合まで間が空くじゃないですか。2、3位のチームは試合をしてゲーム感を養っているのに1位のチームはそれができない。それが逆にハンデになってると思いますもん。

桧山 もっとルールを厳しくしてほしいよね。今回のように、タイガースが2位になって日本シリーズへ行くのはOBとしては嬉しいけれど、野球人としては複雑な気持ち。せっかく1年間苦労して勝ち取った優勝が数日で終わりやもんね。ペナントレースで優勝しても、負けた!!っていう印象が強く残ってしまうのが残念。



――ポストシーズンについて違和感を抱いている野球ファンはそれなりにいらっしゃるかと思います。さて、お二人は、代打としても活躍されていらっしゃいました。打席に入る際、心がけていたことはありますか?

濱中 僕が引退した後、現役だった桧山さんに「代打に入って一番大事なことって何ですか?」って聞いたことがあるんですけど「1球目からふること」って、即答しておられました。少々のボール球でもふる、ファールだったとしてもふる、そうしないとその次の球がふれなくなる。とにかく、空振りしてもいいからふることが大事だ、と。

桧山 受け身になったらダメ。スタメンの場合は、リズムもできてるし、体も仕上がってて、試合の流れもある程度読めるけど、代打ってベンチの裏で黙々とバットをふって、監督に「おい、行くぞ!」って指名されてグランドへ出て行く。しかも、ゲームは生き物なので、打席に立つときのシチュエーションが毎回違う。ツーアウトランナーセカンドのときもあれば、満塁のときもある。日によって心境も、体調も違うところを、ベストコンディションに持っていくのが本当に難しい。



濱中 とにかくいろんな状況を考えて心と体の“準備”をしないといけないんです。そんな難しいポジションにも関わらず、桧山さんは長い期間よくやられたなぁって、尊敬しますもん。

桧山 俺の場合は、チャンスときにしかこないってわかってたし、ピッチャーに打席がまわってきたら俺の出番やなとか、ある程度、流れがわかってたからな。とはいえ、ネクストバッターズサークルへ行っても目の前でスリーアウトチェンジになることもある。せっかく気持ちをあげていったのに、そのままベンチに下がるのもしょっちゅうでしたね。

――集中力を維持するために行っていたことはありますか?

濱中 塁上にランナーがいる設定で、イメージトレーニングは毎回してましたね。常に燃えるものを持ってましたし。

桧山 僕らの場合は代打だったけど、中継ぎ、抑えの投手は、7、8、9回のピンチで出て行って、抑えないといけない。代走だってそう。それぞれの持ち場でしっかり準備をして、望んでる。それでも失敗するからね。

――失敗したとき、心の中でどう思うんですか?

桧山「今すぐもう一回打たせてくれ!!」(笑)。

濱中 代打を経験されてる方って、みんなそうだと思いますよ。ピッチャーでも失敗したら、その日のうちにまた投げたい、と。

桧山 失敗したときのイメージを打ち消すためにも、早めにいいイメージを持っていたいんです。代打の場合、どんな打ち方だったとしてもヒットだったらOK! 絶好調!!ってなる。あとは安心感にもつながるもんね。ピッチャーの場合は、7、8、9回、それぞれの投げる回によって心の持ち方が違うみたいね。8回を投げるピッチャーは、まだ9回があるからと思い切っていけるけど、9回投げるピッチャーはもう1点もやれないって追い込まれるから、プレッシャーが半端ない。JFKと呼ばれる磐石のリリーフ陣の一員だった(藤川)球児は、途中、配置転換で9回に投げてたんだけど、「久保田の苦しみがわかった」って、しみじみと言ってたことが忘れらないね。



PROFILE
ひやま・しんじろう◎1969年7月1日、京都府京都市出身。91年ドラフト4位で阪神に入団。92年5月30日、甲子園での対巨人戦に6番ライトで初出場。01年から3年間、選手会長に就任。03年から05年のリーグ優勝時には主力選手として活躍した。以後、ここぞというときに決める「代打の神様」としてファンに広く愛さる。13年10月14日、現役最終打席において、ポストシーズン最年長ホームランを放った。同シーズンを持って現役を引退。

PROFILE
はまなか・おさむ◎1978年7月9日、和歌山県田辺市出身。96年ドラフト3位で阪神に入団。入団1年目からウエスタン・リーグで4番を打ち頭角を現す。01年、母の日の5月13日対広島戦で、プロ入り初本塁打となるサヨナラ打を放つ。03年は、開幕から4番を任され打点を量産するも、右肩を負傷し手術。07年オフ、オリックスへの移籍、10年にはヤクルトへ入団、9月には引退を発表。来季、阪神の2軍打撃コーチに就任する。

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