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野球浪漫2018

ヤクルト・井野卓 ひたむきな努力、13年目の結実 「(野村監督の)教えは今でも生きているし、大きな影響を受けたのは間違いない」

 

プロの世界を渡り歩いて3球団目。いずれにも、絶対的な正捕手が存在した。戦力外とは常に隣り合わせ。それでも心が折れることはなく、努力を続けてきたからこそ今がある。プロ13年目、井野卓にとって、最も充実したシーズンとなった。
文=菊田康彦、写真=桜井ひとし、BBM


安心できるキャッチャー


 夜ともなれば、そこかしこに秋の気配が感じられるようになっても、カクテル光線に照らされたグラウンドの上は熱気に満ちていた。

 10月2日の神宮球場。守護神の石山泰稚が最後のバッターをサードゴロに打ち取り、今シーズンの2位を決めたヤクルトナインが、マウンドに集まってハイタッチを交わす。その中に、キャッチャーマスクを脱いで端正な顔をほころばせる、井野卓の姿もあった。

「充実したシーズンだと思います。一軍にずっといさせてもらってるし、試合に使ってもらってますから。それにチームも勝ってますしね。プロ野球人生で最高のシーズン? そう言っていいと思います」

 その言葉どおり、今シーズンの井野はかつてないほどに充実した日々を送っている。昨年まで12年間のプロ生活で、一軍で最も多く試合に出たのは08年の23試合。それが今年は開幕から一貫して一軍メンバーに名を連ね、この日で45試合目の出場である。うちスタメンは22試合、9月以降に限ればこれが10試合目の先発マスクとなる。

 この日のDeNA戦で先発マウンドに上がっていた高卒3年目の左腕、高橋奎二とは9月5日のプロ初先発から常にバッテリーを組み、“3度目の正直”で初勝利に導いた。

「奎二が一番自信を持ってる球、一番良い球である真っすぐを、勝負どころで強気に使ってましたよね。初回の(無死一、三塁の)ピンチで、真っすぐ一本でソトから三振を取ったんですけど、あそこを切り抜けられたのがすべてだと思います」

 井野のリードをそう称えたのは、今シーズンから一軍を担当している野口寿浩バッテリーコーチ。

「向こうのバッターに真っすぐを意識させることができて、それ以外の球種も生きた。そこをうまく使ってましたよね」

 高橋だけではない。大卒3年目の原樹理も、8月からは井野とのコンビで5勝1敗。チーム最年長の石川雅規も、8月以降は常に井野とバッテリーを組んでいる。

 正捕手の中村悠平を軸に、序盤は社会人出身のルーキー、松本直樹や高卒2年目の古賀優大にも先発マスクをかぶらせた小川淳司監督が「いろいろやったんだけど、やはりリードに関しては、井野っていうのは安定してるというか、どこか安心感を覚えるキャッチャーなんでね」と言うように、ベテランの起用が目に見えて増えているのは、首脳陣の評価の表れにほかならない。

 たとえ試合に出られなくとも「いつ『行け』って言われてもいいように、準備だけは欠かさないでやっていこうっていう気持ちでいました」とひたむきに重ねてきた努力が、プロ13年目にして実を結んでいる。

トレードと戦力外を経て


 今から35年前の勤労感謝の日、群馬県前橋市で生を受けた赤ん坊が「卓(すぐる)」と名付けられたのは、その年にセ・リーグを制した巨人のエース、江川卓にちなんでのことだった。兄の後を追うように、小学1年生で野球を始めた卓少年は、高学年のころには「ほかの子が『怖い』と言って捕るのを嫌がるぐらい」のスピードボールを投げるようになる。

 最初はいろいろなポジョションをやらされていたというが、気がつけば任されるのは投手か捕手。だが、前橋工高に進学するに当たって選んだのは、捕手だった。

「悩んだんですけど、ピッチャーはランニングがしんどそうで無理だなと思ったんで(笑)、キャッチャーをやろうって決めました」

 当時、同じ高校の1学年上にいたのが捕手の狩野恵輔。井野が2年生の秋、その狩野がドラフト3位で阪神から指名され、遠くに見えていたプロ野球の世界はグッと身近に感じられるようになる。

 高校3年の夏には甲子園に出場し、卒業後は仙台六大学リーグの強豪、東北福祉大に進学。自らの入学と入れ替わりで、ドラフト4巡目で広島に入団した捕手の石原慶幸を目標に、プロを目指した。大学では1年から試合に出場し、2年で正捕手に抜てきされると、3年生時には全日本大学選手権で優勝。同年の日米大学野球選手権代表メンバーにも選出された。

 そして05年のオフ、球団創設1年目のシーズンを終えたばかりの楽天から、大学生・社会人ドラフト7巡目で指名されて入団。あこがれのプロ野球の世界に足を踏み入れた。しかし、夢と希望にあふれていたルーキーを待っていたのは、高くて厚い「プロの壁」だった。

「もう全部で感じましたね。正直3、4年でクビになると思いました。だから、とにかく必死に練習するしかなかったんです」

大学生・社会人ドラフト7巡目で2006年に楽天入団。前列中央が野村監督で、井野は後列左から2番目


 入団2年目の07年に初めて一軍の舞台に立ち、翌08年は藤井彰人(現阪神二軍コーチ)、嶋基宏に次ぐ23試合でマスクをかぶった。当時の監督は、かつてヤクルトを3度の日本一に導いた名将・野村克也。この「ノムラの教え」が、捕手としての井野の血となり、肉となる。

「それは大きかったと思います。事細かに、それこそ試合に出てないほうが教えてもらえる機会がありました。(試合中に)呼ばれて、隣に立たされてっていうこともありましたね。その教えは今でも生きていますし、大きな影響を受けたのは間違いないです」

 その野村監督も、09年を最後に退任。「5年いられたらいいかな」と思っていたという5年目のシーズンも一軍には定着できず、7年目の12年は入団以来3度目の一軍出場なし。「このまま終わるかもしれないな」と思い始めた矢先、巨人へのトレードを告げられる。

「楽天の最後の2年ぐらいは本当にしんどかったですね。だからトレードでほかのチームを見られたのはすごくプラスになってますし、自分にとっては非常にいい経験になったと思います」

 ただし、当時の巨人はまだ阿部慎之助が四番・キャッチャーとして君臨していた時代。バックアップには實松一成(現日本ハム)、加藤健(現BCリーグ新潟社長補佐)が控え、そこに割って入るのは容易なことではなかった。

 翌14年には同じ捕手の小林誠司がドラフト1位で入団。押し出されるように井野の居場所はなくなり、再び一軍出場はゼロとなってしまう。ファームでもわずか23試合の出場に終わると、待っていたのは戦力外通告だった。

巨人では13年に一軍出場10試合。翌年は一軍出場ゼロで日の目を見ないまま戦力外となった


「(戦力外と)言われて一番最初に思ったのが『まだやりたいな』っていうことだったんです。そこで『もういいかな』って思ってたらやめてたと思うんですけど……。『やりたい』って言ってできる世界じゃないですけど、それでダメならしょうがないかなって思ってました」

 NPBの球団から声が掛からなければ、ユニフォームを脱ぐことも覚悟していた井野に手を差し伸べたのが、ベテラン捕手の相川亮二をFAで失ったばかりのヤクルトだった。時に31歳。「何かの縁で選手として拾ってもらった。一軍で戦力になって、優勝に貢献したい」と、新天地で再スタートを切った。

 ヤクルト1年目の15年も一軍出場の機会はなく、14年ぶりのリーグ優勝に沸くナインの姿を、テレビの画面を通して眺めることしかできなかった。翌16年は3度にわたって一軍に呼ばれながら、出場はわずか2試合にとどまる。整理対象に挙がったこともあったというが、どんな状況にあっても井野の心が折れることはなかった。

「拾ってもらったんでね。恩返しできる機会があればっていう気持ちでずっとやってたんで、それで腐るとかはなかったです」

 ヤクルト3年目の17年も、開幕から二軍暮らしが続いたが、チャンスというものは思いがけずにやってくる。6月13日の楽天戦(神宮)で、正捕手の中村がファウルチップを受けて負傷。翌日、井野が一軍に呼ばれると、16日の日本ハム戦(神宮)では中村の代わりにスタメン出場していた西田明央が自打球で負傷。こうなれば代わりを務められるのは、当時プロ12年目のベテランしかいなかった。

 翌17日の日本ハム戦(同)で、巨人時代の13年以来4年ぶりに先発マスクをかぶると、巧みなリードでブキャナンの来日初完封勝利を演出。西田、中村の復帰でまたファームに逆戻りとなり、この年も一軍出場は7試合にとどまったが、爪痕はしっかりと残した。

「あれが自分の中では大きかったと思います。準備してきて良かったなって思いました」

意外だった指揮官の言葉


 そして迎えた今シーズン。井野が「ターニングポイントだなと思った」という試合がある。

 7月9日の巨人戦(静岡)。井野は2対2と同点の7回表からマスクをかぶったものの、代わったばかりの中尾輝、そして風張蓮が打ち込まれて6失点。バッテリーエラーが絡んだこともあって、脳裏にはファーム落ちがよぎったという。ところが試合後に指揮官から掛けられた言葉は、意外なものだった。

「(小川)監督が『いい日もあれば悪い日もあるよ』って言ってくれたんで『ああ、そんなふうに見てくれてるんだ』って……。だから、思い切ってやればいいんだって思えるようになりました」

 球宴までのスタメン出場はわずか2試合。「試合に出ていなくてもやれることはある」とベンチから大声でナインを鼓舞し、下がってきた選手にはさりげなく声を掛けた。自身は「行けって言われたときに『準備ができてない』っていうことだけはないように」と、いついかなるときも来たるべき出番に備えた。

「井野は今までそんなに試合には出てないんだけど、出てないなりにいろいろなことを感じて、いざ出たときに実践できてるっていうのは非常に大きいのかなと思います。経験が経験がってみんな言いますけど、試合に出るだけが経験じゃないっていうところじゃないかなと僕は思っています」

 小川監督がそう指摘するように、出場機会が増えた今、井野はこれまでベンチにいながらも自分なりに感じ、引き出しとしてしっかりと蓄えてきたものを存分に生かしているように見える。

「生かせてたらいいですけど。『取って良かったな』って思ってもらえたらいいですね」

 もちろん良いことばかりではない。8月23日の広島戦(マツダ広島)は「今でも(胸に)刺さってます」と言う。この試合、3点リードの9回裏に抑えの石山が丸佳浩に同点3ランを浴び、さらに鈴木誠也の一発でまさかのサヨナラ負け……。

「何とかできた試合ですからね……。あれはチームとしても痛かったですし、僕自身も悔しかったです」

 自身のプロ野球人生でも「最高のシーズン」に残る悔恨。それを晴らすためにも、必ず広島にリベンジする──。その思いを胸に、井野はこれから先も来るべき出番に備えて、ひたむきに準備を続けていくはずだ。

試合中、先発の高橋[右]を励ます。一回り以上年下の後輩をプロ初勝利へと導いた


PROFILE
いの・すぐる●1983年11月23日生まれ。群馬県出身。前橋工高、東北福祉大を経て大学生・社会人ドラフト7巡目で2006年に楽天入団。12年オフに複数トレードにより巨人へ移籍も、14年オフに戦力外。15年にヤクルト入りすると、4年目の今季にキャリアハイとなる47試合に出場。

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苦悩しながらもプロ野球選手としてファンの期待に応え、ひたむきにプレーする選手に焦点を当てた読み物。

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