球界屈指のスピードで注目を集めてきたが、入団3年目の今季は攻守でも存在感を放っている。タレント豊富なヤクルト野手陣の中において、身長170cm体重70kgと一際小柄な背番号0は、成功も失敗も活力に変え今日もグラウンドに立つ。 文=菊田康彦(スポーツライター) 写真=桜井ひとし、BBM 覚悟した二軍落ち
「たぶん一生忘れることはできないと思います」と振り返る場面(シーン)がある──。
5月24日に神宮球場で行われた
阪神戦。ヤクルトが1点をリードして、勝利まであとアウト一つ。ここで阪神の三番
ノイジーが放ったライナーがグラウンドを照らすLED照明と重なり、ライトを守る並木秀尊の目の前で“消えた”。
ウイニングボールになるはずだった打球は、並木の横をすり抜けて右中間のフェンスまで転々。その間に、打ったノイジーは三塁に達した(記録は三塁打)。
「初めてでした。二軍ではデーゲームでやることが多かったですし……。練習では『こうなったらこうしろ』みたいなことも言われてるんですけど、いざ途中から(打球が)照明とかぶったなかで、頭の整理もできてなかったっていうのも一つの原因としてあると思います」 続く四番の
大山悠輔がフルカウントから四球で歩くと、五番の
佐藤輝明は初球を右翼線に運び、2者が生還。ヤクルトは土壇場で試合をひっくり返された。
「せめて体に当てるとか、何とかしてほしかったなというのが……。照明が目に入ったんでしょうけれども、何とかという気持ちがなかったのかなっていう気はしますね」
九分九厘手にしていた勝利を逃し、試合後に並木のプレーに言及する
高津臣吾監督の言葉は厳しかった。
「本当にそのとおりだと思いました。経験はなかったですけど、プロとして言い訳はしちゃいけないと思ってるんで……。本当に体で何とか止めなきゃいけなかったなっていう思いしかないですね、今は」 今年はプロ3年目にして初の開幕一軍入りを果たし、主に代走や守備固めで貴重な戦力となっていたが、その時点で二軍落ちも「覚悟した」という。
だが翌日、試合前の神宮のグラウンドには並木の姿があった。まだ陽も高いというのに一部の照明がともるなかで、
河田雄祐外野守備走塁コーチが打ち上げるフライを追いかけていた。
「オレも(現役時代に)経験があるんだけど、ああいうときって次の日はもうまったく何もおぼつかなくなっちゃうから。だからちょっと早く出てきて、汗をかかせてっていうふうにしたんだけど」という、河田コーチなりの配慮だった。
「実際のところ昼間に照明をつけても意味があるのか分からないですけど、ちょっとでも照明の向きや位置だったりとか、そういうのを練習で(確認)できればっていうことで。自分のせいで負けて気持ち的にも落ちる部分はあったんですけど、コーチの方たちから『練習するしかない』って声を掛けてもらって『“最悪”を経験できたわけだから、この経験をムダにしないように今後やっていくしかない』っていう言葉もいただきましたし、何か励ましのように感じました」 その夜の阪神戦、並木は一番・左翼で10試合ぶりにスタメンで起用される。
「取り返すチャンスをすぐにいただいたんで、何とかそこで打ちたかったです」という思いとは裏腹に、4打数ノーヒットと結果を残すことはできなかったものの、コーチ陣の気遣いや指揮官の起用については「気持ち的にも来るものがありました」と言う。
再び並木がスタメンに名を連ねるのは、それから1カ月近くが過ぎた・・・
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