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シニア時代の恩師が語る、松井裕樹の”下積み”時代

 

文=斎藤寿子 写真=BBM

高卒2年目にして、東北楽天の絶対的守護神として活躍する、松井裕樹投手



「松井は2番手」、意外と苦労したシニア時代


 プロ2年目の松井裕樹(東北楽天)が、今シーズンは水を得た魚のように好投している。15日現在、3勝2敗29セーブ、防御率0.85。セーブ数は球団記録22をはるかに超え、現在では高卒2年目としての最多記録を更新中だ。チーム勝利数51のうち、松井が貢献した試合は、実に半数以上の32にものぼる。

 高校時代から一番の武器である"投げっぷり"のいいピッチングは、見ている者を魅了する。ストレートと変化球が同じ腕の振りで来るため、バッターは球種を見分けにくい。それが88という投球回数(63回2/3)よりも多い奪三振数をマークしている所以のひとつだろう。

 松井と言えば、桐光学園高校時代、2年生エースとして出場した夏の甲子園で大会史上最多となる1試合22奪三振を記録したことは記憶に新しいが、さらにその前の中学3年時には所属した青葉緑東シニアのエースとして全国大会で優勝している。

 こうした輝かしい経歴を見て、さぞかしエリートコースを歩んできたのだろうと思っていたら、意外にも中学2年までは苦労したようだ。青葉緑東シニアの中丸敬治監督は、当時の松井の印象をこう述べている。

「小学6年の冬にチームに入ってきたのですが、真ん丸顔で、どちらかというとぽっちゃりタイプ。見た目はどこにでもいる少年でしたね(笑)。松井はボールをいじるのが巧くて、当時は素晴らしいカーブを持っていました。ただ、同級生には牽制もフィールディングも巧く、既に完成されたピッチャーがいたんです。その子は安定感抜群で2年生からエースでした。松井がようやく試合で投げるようになったのは、2年秋くらいからでしたね」

 中丸監督いわく、小学6年時に所属した横浜ベイスターズジュニアでも、エースの座は女子選手に奪われ、松井は2番手だったというのだから驚きだ。プロ野球選手の中には、最初から「エースで4番」という選手も少なくない中、松井は遅咲きだったようだ。

 しかし、「将来的にはいいピッチャーになるだろう」と考えていた中丸監督意外にも、早くから松井の素質を見抜いていた人たちがいた。ひとりは臨時コーチを務めていた小谷正勝コーチ(現千葉ロッテ)だ。中丸監督いわく、小谷コーチは松井のボールへの感性の良さを感じていたという。また、教えたことをすぐにできてしまう器用さにも素質の高さを感じ、「天才松井」と呼ぶこともあったようだ。

 もうひとりは、浦和学院高校の森士監督だ。中丸監督は森監督が初めて松井を目にした時のことを鮮明に覚えている。

「松井が中学1年の春、森さんがグラウンドに来てくれたことがあったんです。うちのチームの卒業生が何人か浦学さんでお世話になっていたこともあって、わざわざ甲子園のお土産を持って挨拶に来てくれたんです。その時、ちょうど30、40人くらいの1年生がキャッチボールをしていたんですね。そしたら、その中の松井を指して『あの左の子、うちに欲しいなぁ』って言ったんです。やっぱり森さんは確かな目がある方ですよ」

 森監督は、まだ芽が出ていなかった松井の潜在能力を、キャッチボールを見ただけで見抜いたのだ。

 中丸監督はこんな後日談を教えてくれた。

「松井が高校3年の夏、県予選の前に浦学と練習試合をしたことがあるんです。その時、松井は9回を1安打完封した。そしたら、森監督は冗談半分で『打てないのは、前から知っていたよ』と言っていたそうです」

 中丸監督は言う。

「松井は苦労人ですよ。正直、中学2年までは下積み時代。でも、それがいい意味で負けず嫌いにつながったのだと思います。高校3年の時に甲子園を逃したことも、負ける悔しさみたいなのが出てきて、いい肥しになっているんでしょうね。今は自分のボールに自信を持って投げていると思いますよ。どんなバッターにも向かっていく姿勢が、成績につながっているんでしょうね」

 残念ながらチームは今、オリックスと最下位争いをしている。それでも、リーグ4位のセーブ数というのは立派である。優勝の可能性はなくても、若き19歳の力投を楽しみに観戦している楽天ファンも少なくないはずだ。松井のチームの貢献度は、勝利だけに限らない。
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