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プロ野球仰天伝説

【プロ野球仰天伝説22】4日に一度は投げさせてくれと球団に要求した別所毅彦

 

長いプロ野球の歴史の中で、数えきれない伝説が紡がれた。その一つひとつが、野球という国民的スポーツの面白さを倍増させたのは間違いない。野球ファンを“仰天”させた伝説。その数々を紹介していこう。

史上最多のシーズン47完投


通算310勝をマークした別所


 球史に残る鉄腕を挙げていくとすれば、310勝を積み上げた別所毅彦(南海−巨人)を筆頭にしてもいいだろう。1947年の47完投は史上最多であり、18シーズンの現役時代を通し、ほぼ故障知らずだった。

 さすがに成長期の滝川中時代に連日300球以上投げた際にはヒジが伸びなくなったが、鉄棒にぶら下がったり、風呂に入って温めた後、両脚ではさみ、思い切り引っ張って伸ばしたりしたというから逆にすごい。

 そんな鉄腕にも衰えるときはくる。58年、世代交代もあって26試合の登板で9勝に終わり、13シーズン続いてきた2ケタ勝利が途切れた。ただ、このオフの契約更改で仰天要求。「登板が少ないから調子が上がらない。中3日で35試合は投げさせてくれ」と前代未聞の申し出をした。

 これに対し、当時の水原円裕(茂)監督が「指揮権の侵害だ」と激怒し、大騒ぎとなっている。

 これには目前に迫った300勝もあった。すでに301勝(のち303勝に)で引退していた先輩のスタルヒンから「日本人で達成するとしたら君だけだ」と言われ、何とか早く達成したいと思っていた。せっかちで一度決めたら周りが見えなくなる別所らしいエピソードでもあった。

別所毅彦(べっしょ・たけひこ)
1922年10月1日生まれ。兵庫県出身。41年センバツに出場。滝川中から日大に進むも中退し、42年秋に南海へ入団。43年にはノーヒットノーランを記録したが、兵役のため44年に退団。46年に復帰して翌47年には30勝で最多勝、47完投は日本記録でもある。48年までの登録名は「別所昭」。49年巨人へ。61年にコーチ兼任となり、同年限りで現役引退。79年野球殿堂入り。99年6月24日死去。主なタイトルはMVP2回、最多勝利3回、最優秀防御率1回、最多奪三振1回、沢村賞2回。通算成績662試合登板、310勝178敗、防御率2.18。

写真=BBM
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