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プロ野球仰天伝説

【プロ野球仰天伝説72】代役が巨人で巻き起こした大旋風【助っ人トンデモ話】

 

長いプロ野球の歴史の中で、数えきれない伝説が紡がれた。その一つひとつが、野球という国民的スポーツの面白さを倍増させたのは間違いない。野球ファンを“仰天”させた伝説。その数々を紹介していこう。

呂明賜[1988−91巨人/外野手]



 1988年、キャンプ中に来日した呂明賜。台湾関係者は「呂は台湾の最高傑作。日本で名を残してもらわないと、われわれ台湾棒球人の恥となる」と語っていた。世の中的にもNICS(香港、シンガポール、韓国、台湾のアジア新興工業国)商品のブームが騒がれていた時代である。ただ、巨人にはクロマティ外野手、ガリクソン投手と大物選手がおり、二軍スタートを余儀なくされた。

 しかし6月12日、クロマティが死球を受け、左手親指を骨折。「全治2カ月」の診断が下され、シーズン絶望に。イースタンで絶好調だった呂の一軍初昇格が決まった。

 14日、神宮球場でのヤクルト戦、王貞治監督は初出場の呂を六番スタメンで起用。この日は朝からテレビ3社、新聞3社が密着マーク。打撃練習から強烈なライナーを放ち、三塁を守っていた原辰徳のグラブをはじき飛ばし、「重い、すごいです」と原をうならせた。初打席は初回一死一、三塁だった。ギブソンが投げた2球目、うなりを上げて呂のバットが振り抜かれると、打球はピンポン球のように左翼上段へ飛び込んだ。

「甘い球が来たから打っただけです」と呂は試合後、落ち着き払っていた。

 五番に抜擢された18日の中日戦(ナゴヤ)では1試合2本、19日に1本。「毎打席、ホームランを狙う」という言葉どおりの量産体制に入った。6月25日にはヤクルト戦(東京ドーム)でサヨナラ本塁打。この時点では9試合で6本塁打のハイペースだ。その後、7月6日時点では17試合に出場し、打率.379、10本塁打、18打点でノーヒットは2試合しかなかった。

 名前の正しい発音は「ルー・ミンスー」。台湾高雄出身で3人兄姉の末っ子。リトルリーグの世界選手権で優勝経験があり、文化大から入団した。台湾ナショナルチームでは四番として通算112本塁打。当時のポジションは捕手で、強肩と粘り強いリードに定評があった。兵役もあったが、体重100キロ以上は免除の項目があり、そこまで体重を増やし、免除され、巨人入りした。

 その後、勢いは落ちたが、フォローの大きな豪快なフォームもあって、一時は87年のホーナーに負けない大旋風を巻き起こした。

写真=BBM
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