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週刊ベースボール60周年記念企画

優勝は大洋? 阪神? 誌面大混乱/週べ1964年10月12日号

 

 今年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。

大洋まさかの甲子園連敗


表紙は左上が南海・鶴岡一人監督、下が野村克也、右上が大洋・三原脩監督、下が秋山登




 今回は『1964年10月12日号』。定価は50円だ。
 1964年9月30日が発売日。予定どおりであれば、日本シリーズ第2戦の日だ。表紙にあるように『日本シリーズ展望号』として両軍の戦力分析にしたかったのだろう。

 雑誌の進行を考えると、表紙や早版記事の大部分は24日締め切り、最終は26日だったはず。
 予定ならシーズンは終了しているのだが、長雨でスケジュールがムチャクチャになっていたセ・リーグは、まだ終わらず、しかも大洋、阪神の優勝争いが緊迫していた。

 表紙や早版記事の24日時点では、2位阪神に1.5ゲーム差で首位に立っていた大洋優勝は濃厚と思われ、それを仮定し、南海─大洋の日本シリーズ前提のものも多かった。

 しかし、遅い記事のタイトルは「阪神・逆転優勝ムード」。なお、出場チームの選手名鑑もあったが、それは大洋、阪神の両方が載っていた。

 事態を混沌とさせたのは雨で2日順延となって9月26日に行われた、甲子園での直接対決だ(ダブルヘッダー)。
 1戦目に完封勝利を挙げた阪神・バッキーは、2戦目も好リリーフを見せ、阪神が5対0、3対2。ついにゲーム差は0.5となった。
大洋はこれで全日程終了。阪神は残り3試合に2勝1敗なら逆転優勝となる。

 バッキーは「休養十分でボールに威力があった。おもにタイミングを外すピッチングをした。ナックルは8球だけ。あとはインコースの落ちる球と速球。ウイニングボールはあと1個ほしいし、優勝したい」と上機嫌。
 阪神・藤本定義監督は「予測しないことになったが、こうなった以上、あとの3試合はがっちりやりますよ」と語気を強めた。

 一方、大洋・三原脩監督は、よほど悔しかったのだろう。「何も言うことはありません」とだけ言い残し、選手らを置いたまま一人夜行列車で東京に戻ってしまった。

 このあたり細かくなるが、裏で三原監督と中部謙吉オーナーとのやり取りがある。
 20日対阪神ダブルで連敗した後、1日雨で試合が延び、9月23日に巨人ダブルヘッダー(後楽園)となった際、三原は25、26日のはずだった甲子園での阪神戦のために1試合目が終わったら主力を大阪に行かせ、控えで巨人戦を戦うプランを立てた(結果的には26日のダブルとなるわけだが)。

「少しでも早く大阪に着いて決戦の準備をしたかった」(三原)からだ。
 大雨の中、2試合を戦うことでの主力の体力消耗を心配したからでもある。

 これに反対したのが、中部オーナーだった。
「日程が不利だ、不利だと言ったところでどうする。黙々と試合をやって結果を待とう。同情はこちらから求めるものではない。巨人にも失礼だ。堂々と試合をしてこそ、大洋の価値は決められる」
 結果的には対巨人には連勝も阪神に連敗。優勝の行方は、阪神の結果待ちとなった(3試合に2勝で決定)。

 では、またあした。

<次回に続く>

写真=BBM
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