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南海・蔭山和夫の追悼試合/週べ1966年3月28日号

 

 昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。

メキシコの虎は連敗中


表紙は巨人長嶋茂雄



 今回は『1966年3月28日号』。定価は60円だ。

 3月6日に来日したメキシカン・リーグのメキシコ・タイガース(ティグレス・デ・メヒコ)。阪神との初戦は1対4と敗れた。写真を見ると、甲子園はガラガラ。さすがに2Aクラスでは盛り上がらないようだ。
 このチーム、10日時点で4連敗とあまり強くない。ストライクゾーンの違いや食が合わず下痢をする選手が続出したこともあるらしい。

 また、12日、南海と巨人のオープン戦では監督就任直後に亡くなった蔭山和夫の遺影を掲げ、追悼試合として行われた。
 追悼試合は過去、巨人の黒沢俊夫沢村栄治吉原正喜、そして巨人の前身、全日本軍に参加した久慈次郎と4試合行われた。
 今回は蔭山の遺族にテレビ放映料、入場料から経費と巨人へのギャラを抜いた分が送られたという。

 蔭山が死に至る前、鶴岡監督が鶴岡派のコーチを連れて新しいチームにいくことが決まっており、その後のやり繰りに悩んでたという話があった。あらためて聞かれたが、鶴岡は、
「そんなことをするわけがない」
 と言葉少なく否定。

 さらに言う。
「祈ったことは、ただ天気がようて、暖かい日であってほしい。そしてたくさんのファンが来てくれたらいいということやった。よかったよ」
 大阪地方は晴天。オーバーもいらない暖かさだった。

 2人の娘を連れて参加した夫人は、「野球観戦は2度目」と話した後、
「もう野球を見に来ることもないでしょう。子どもが大きくなって、パパの働いていた野球を見たいというときまで……」
 と言って白いハンカチを目に当てた。

 その鶴岡親分が歌のモデルになった。北島三郎の『勝負師』だ。北島サイドから
「鶴岡監督が勝負師であることは知っているが、会って話をしたことがない。一度お会いして話を聞けたら、歌うときに大いに参考になるんですが」と話があり、実際、会って話もしたらしい。

 では、またあした。

<次回に続く>

写真=BBM
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