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夏の甲子園名勝負

東西を代表する強力打線の激突は大逆転に次ぐ大逆転!/夏の甲子園名勝負

 

いよいよ第101回大会を迎える夏の高校野球。1915年、つまり大正4年に始まり、昭和、平成という時代を経て、この夏が令和最初の大会でもある。昨夏、平成最後の大会となった100回までの長い歴史の中で繰り広げられた名勝負の数々を、あらためて振り返ってみる。

中村晃の適時打で帝京が9回表に大量8点


9回表に大逆転を許した智弁和歌山だが、その裏、無死一、二塁から橋本が3ランを放ち1点差。再逆転への扉を開いた


 2006年の夏、第88回大会といえば、早実の斎藤佑樹(現・日本ハム)と駒大苫小牧(現・ヤンキース)が投げ合った決勝、そして引き分け再試合が記憶に刻み込まれているが、その準々決勝でも、記憶にも記録にも残る激戦が繰り広げられた。東は帝京、西は智弁和歌山。ともに東西を代表する強力打線を誇る強豪校だ。両チーム計25得点、7本塁打。終盤までもつれにもつれた試合は終盤、9回に大量得点による大逆転に次ぐ大逆転で計13得点という壮絶な打撃戦となった。

 まずアーチ攻勢を仕掛けたのは智弁和歌山だった。2回裏に七番の馬場一平が帝京の高島祥平(のち中日)から先制3ラン本塁打。帝京も4回表に3本の二塁打で1点差に詰め寄ったが、その裏には先頭の馬場が2打席連続となるソロ本塁打、二死から二番の上羽清継が2ラン本塁打を放って3点を追加する。

 さらに7回裏には広井亮介が大会4号となる2ラン本塁打を放って、6点差と帝京を突き放した。帝京の打線が覚醒したのが直後の8回表だ。一死から五番の塩沢佑太が2ラン本塁打で4点差に。そして9回表、安打と死球で走者一、二塁としたものの、二死と追いつめられた土壇場で、ついに爆発する。

 打席に立ったのは四番の中村晃(現・ソフトバンク)だ。それまで完全に沈黙していた四番打者が、ここで右前適時打を放って打線の起爆剤となると、以降4連打で3点を返して1点差に詰め寄る。なおも満塁。ここで、八番で1年生の杉谷拳士(現・日本ハム)が5連打目となる2点適時打を放って、逆転に成功した。

 だが、猛攻は終わらない。この回の先頭打者として代打で打席に入ったものの凡退し、この回2打席目となる沼田準が左翼席へと叩き込む3ラン本塁打。4点ビハインドから一気に4点リードとして、帝京の逆転勝利は決まったかと思われた。しかし、帝京にとって、この大逆転の代償も大きかった。

大逆転の代償が9回裏の悪夢に


 3番手として好投していた大田亜斗里(のち横浜ほか)に送った代打が沼田だった。これで9回裏を任せられる投手がいなくなってしまったのだ。4番手に中堅手の勝見亮祐を送ったが、2連続四球を与えて四番の橋本良平(のち阪神)に3ラン本塁打を浴びて降板、5番手に立った遊撃手の杉谷は初球を死球にして公式戦初登板となる岡野裕也に交代。ようやく一死を奪うも、代打の青石裕斗に同点適時打を浴び、そこから連続四球で押し出し。帝京にとっては悪夢のサヨナラ負けとなった。

 この両チームの最終回での執念が生んだ一戦は記憶だけでなく、大会記録にも刻まれている。06年の夏に飛び交った本塁打は60本で、それまでの大会記録47本塁打を大幅に更新したが、これは17年の67本塁打に更新されてしまったものの、この一戦の1イニング5得点でのサヨナラ勝ちは新記録。両チーム計7本塁打、智弁和歌山のゲーム5本塁打も夏の最多記録として残る。


2006年(平成18年)
第88回大会・準々決勝
第12日

帝京    000 200 028 12
智弁和歌山 030 300 205X 13

[勝]松本
[敗]杉谷
[本塁打]
(帝京)塩沢、沼田
(智弁和歌山)馬場2、上羽、広井、橋本

写真=BBM
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