昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 飯島はなぜ走れない?
今回は『1969年6月16日号』。定価は60円。
「
楽天家だったルー、おとぼけのルー……」
5月28日、球団葬。アトムズ・
別所毅彦監督の弔辞に、あちこちからすすり泣きが起こった。
前日の27日、アトムズの
ルー・ジャクソンがすい臓炎のため死去した。
ジャクソンは66年入団。抜群の身体能力を生かし、中心選手として活躍したが、生活がとにかくデタラメ。日本食への好き嫌いもあったのだろうが、来日当初のキャンプはビールと焼き鳥だけで1カ月を過ごしたという伝説もある。遊び好きで女癖の悪さも有名だった。
69年3月25日のオープン戦で突如激しい腹痛と吐き気に襲われ、入院。そのまま退院することはなく、この世を去った。
瞬間走力は世界一とも言われた
ロッテの
飯島秀雄だが、いまだ盗塁は2。南海・
広瀬叔功、阪急・
阪本敏三の17には大きく差を離され、しかも右太もも肉離れ。「野球は本当に難しい」とこぼしていた。
当初は違った。鼻息荒く、
「絶対(盗塁の)日本記録をつくりますよ。ところで日本記録っていくつですか? 85? そりゃわけないや」
と自信たっぷりだったのが、遠い昔のようだ。
ロッテの
大沢啓二二軍監督が頼み込み(大沢はかつて南海在籍)、飯島にアドバイスしたという広瀬は、
「わしはあいつにいうたんや。100メートル10秒1で走れるから盗塁なんか、という気持ちじゃあかんと。あいつは、そんな気はありませんというとったが、顔には、走るのは誰にも負けんというプライドが出ていた。
盗塁と口でいうのは簡単だけど、最高に神経を使う。投手、捕手のクセ、審判の位置まで計算しなければいけないんや。そしてバッターのクセも覚えなあかん」
広瀬はまた「野球を体で覚えなきゃいかん」とも言った。
「走るだけと思っていては10個盗塁できたら十分。バットを担いで打席に入り、投手の球を打ち、グラブやミットを持って守備をし、野球の動きを頭じゃなく体でマスターしなければいけない」
確かに一理あるような気がする。
グローバル・リーグの近況があったが、これは込み入っているので次回で。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM