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週べ60周年記念

荒川堯はなぜ大洋に入団したのか/週ベ回顧

 

 一昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。

ロッテ優勝、狂乱? の夜


表紙は阪神江夏豊



 今回は『1970年10月26日号』。定価は80円。
 
 10月7日、試合開始前、ロッテ・永田雅一オーナーは東京球場の神棚に線香を立て、勝利を祈った。
 同日、マジック対象だった南海が敗れ、6回の攻撃の前にロッテの優勝が決定。
 試合は西鉄に0対3とリードされていたが、「負けて決まっても面白くない」とばかり、その回、ロッテ自慢の強力打線は先頭の代打・江藤慎一がソロで追撃の狼煙を上げると、アルトマンが同点2ランと続き、そのまま5点を奪うと、その後、木樽正明が抑え、勝利を飾った。

 この試合、のちに東京スタジアムが観客でいっぱいになっている写真を見るが、1988年のナゴヤ球場のように負傷者が続出ということにはならなかった。
 昔の球場のほうがフェンスの高さなどを考えれば乱入しやすかったこともあるし、独走でかなり前から優勝が決まっていたこともあり、客席が準備が万端だったこともある。
 試合終盤、皆がフェンス前に集まり、子どもが潜り込むと「危ないから下がっていろ」と弾き出されるなど、それなりに秩序? もあったようだ。

 優勝決定の瞬間、予定どおりファンがグラウンドに次々乱入。いつの間にかファンの手で永田オーナーの体は宙を舞っていた。ほかにも、あちこちで選手が宙を舞う。帽子、グラブと選手たちのグッズが戦利品とばかり奪われていく。
 この号では、永田オーナーがファンたちの手で帽子をかぶったまま胴上げされる写真、もみくちゃにされる写真、帽子を振る写真などが4ページにわたり、大きく掲載されている。
 すべて笑顔、いや感無量の顔。はっきりとは分からないが、涙も流しているようだ。

 69年秋のドラフト1位で大洋に指名されながら「巨人しか行かない」と拒否した荒川堯が10月9日、急きょ入団会見を行った。
 ただし、その会見には本人の姿はない。大洋・森社長は、
「入団発表に本人がいないなんて私も初めてのこと。まったく前代未聞です。まったく異例のことです。彼の技術も行動も」
 と言って苦笑した。選手の契約の届け出は10月11日まで。ぎりぎりの発表だった。

 堯については義理の父・博の問題もある。要は、堯は博の武器だった。すでに巨人のコーチを退任する意思は決めており、大洋に対しても「親子二人」で要求したが、契約金の要求が高すぎ、断られたという背景があったらしい。
 逆に、今回は博のヤクルトコーチ就任が決まったことで、三角トレードを前提にした入団だった。

 黒い霧事件で永久追放となった元西鉄・池永正明の復権運動が活発になっていた。山本彦助弁護士を中心とした「池永再起の会」を中心に進めているもので、署名は2万人近く集まっているという。 
 母親は「もう野球ができるとは思っていません。だが、せめて失格の烙印だけは外してもらえんものでしょうか。息子が一生肩身の狭い思いをしていくのかと思うとかわいそうでなりません」と話していた。
 素行の問題はあったかもしれないが、八百長は一切していない。 
 まだ、24歳だ。

 では、またあした。

<次回に続く>

写真=BBM
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