3年前に創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 7勝目でハーラートップの山田を追う
今回は『1972年6月26日号』。定価は100円。
「なんとか完封させてやりたい、という気になって神経を使ったもんや。でも、案ずるより生むがやすしとはよう言うたもんや。エモのやつ自信満々のピッチングをしよった」
南海・
野村克也兼任監督が、江本孟紀のピッチングを絶賛する。
6月2日、近鉄戦(日生)、江本はシーズン7勝目を完封で飾った。
「少年から大人になったような気がします。俺、東映時代は勝った味を知らなかった。南海に来たとき、1日1日が勝負だと必死に投げた。オープン戦でも、あすのことなど考えず投げた。いまもそうなんです。きょうを精いっぱい生きる。これが俺の主義なんだ」
と江本。プロ2年目の右腕で、1年目は東映で0勝4敗だったが、移籍1年目のこの年は、6月9日現在、7勝5敗、防御率1.99。すでにリーグトップの110イニングに投げていた。
江本は言う。
「俺だけの力で、こんなに投げられますか。みんなの力によるものですよ。特に監督のリードのおかげ。天下一の捕手で、俺が浮かび上がってきただけなんです」
ハーラーダービートップは阪急の
山田久志で9勝。最多勝について聞かれ、
「そんな大それたことまで考えていませんが、僕が山田さんに勝てば、南海が阪急の上にいくというのならやります」
この時点で阪急1位、南海3位だった。阪急・
西本幸雄監督も、
「南海を突き放すには江本をたたく以外にない。だが、江本は昨年の江本ではない」
と警戒していた。
南海は打線では野村が不動の四番だったが、6月1日の西鉄戦で、弱気になったか六番に。これには相手の
稲尾和久監督もびっくりしたが、「監督があんな弱気なチームなら怖くない」とばかり勝利を飾った。
試合後、野村は、
「やはりわしの弱気が悪かったようや。最後まで気持ちのうえでひるんだらあかんのや」
と反省し、翌日から四番に戻った。
では、また月曜に。
<次回に続く>
写真=BBM