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プロ野球はみだし録

野村克也監督は「投げるところがない」と驚嘆…助っ人初の快挙もイチローの陰に隠れた竜の巧打者は【プロ野球はみだし録】

 

来日3年目に初の首位打者


広角に打ち分ける打撃が武器だったパウエル


 1992年のシーズン途中に来日、中日へ入団したアロンゾ・パウエルは、ある意味では“悲運”の助っ人だった。明るい性格で研究熱心、すぐにチームにも溶け込んだ好漢。残した成績も申し分なかったが、活躍の割に注目を集めることは少なかった。横浜スタジアムでは場外弾を放つなどパワーも兼ね備えていたものの、ヤクルト野村克也監督をして「ヒジの使い方が素晴らしい。投げることろがない」と言わしめた広角に打ち分ける巧打が持ち味。特に右方向への絶妙な好打が光った。

 チャリティー活動にも熱心で、「野球人生を通じて、いや、それ以上に長い人生でも、いろいろな人の役に立ちたい」と語っていたパウエル。あこがれていたのは優勝、というより胴上げだったという。来日2年目の93年は優勝を争った中日。「アメリカではマイナーで3度、優勝してるけど、あんなのやったことがない」とドキドキしていたのだとか。当初は内角へのストレートや外角への変化球に苦しんだが、試合のビデオを持ち帰って、毎晩のように研究を続けたことで克服。1年目は「日本でやっていく自信がついた」と語るも終盤に右ヒジを、2年目も序盤に左ヒザを故障して、2年連続で手術を受けるなど不運が続いたが、打率.317の安定感に加え、97試合の出場で27本塁打を放つなどパワーも発揮した。

 3年目の94年も右足の親指を骨折するアクシデントも、最終的に打率.324で初の首位打者。「タイトルはラッキー」と謙虚だったパウエルだが、翌95年には打率.355、その翌96年には打率.340をマークして、助っ人ではプロ野球で初めて3年連続で首位打者に輝いた。

 だが、一方のパ・リーグで94年にプロ野球で初めてシーズン200安打を突破、初めて首位打者となり、その後もパウエルと同じタイミングで連続して首位打者となったのがオリックスイチロー。その陰に隠れる形となったパウエルの快挙は、あまり騒がれることはなかった。そして、97年に失速したパウエルはオフに解雇、移籍した阪神でも翌98年シーズン中に解雇。中日がリーグ優勝を飾り、胴上げが見られたのは、その翌99年のことだった。

文=犬企画マンホール 写真=BBM
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