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『よみがえる1958年-69年のプロ野球』1958年編

西鉄ライオンズのビジターユニフォームの胸文字がNISHITETUからFUKUOKAになった理由/『よみがえる1958年-69年のプロ野球』1958年編

 

 1月30日、『よみがえる1958年-69年のプロ野球』第1弾、1958年編が発売される。その中の記事を時々掲載します。

『よみがえる1958年─69年のプロ野球』1958年編表紙


平和台の開場式で贈呈


 プロ野球の歴史を1年1冊で振り返る「よみがえるプロ野球シリーズ」。これまで3年間にわたり1980年代、90年代、70年代をエクストラを含めれば、36冊で振り返ってきたが、2023年の第4シリーズでは、1958年から69年までの12年間を振り返っていく。

 資料が少ない時代であり、これまでより多少制作時間が必要になるため、今回は2カ月に1冊で2024年完結の予定とさせていただくことにした。

 今回は1958年編から「西鉄のチーム情報ページ」の記事をピックアップし、加筆する。

 かねてより設備が貧弱、グラウンドは雨が降ったたら泥沼、晴れたらコンクリートと評判が悪かった平和台が前年秋から改修工事中とあって、この年4月5日、西鉄の開幕戦は小倉球場の開場式も兼ねて行われた。

 試合前には、原創作バレー団の踊りや祇園太鼓の8組の競演と、まさにお祭り騒ぎ。これに相手の阪急ナインが度肝を抜かれたか、試合は7対2で西鉄の快勝となった。

 この日は何かとあわただしく、強風のため2回が終わったときに中断。そのまま中止とも思われたが、続行となっている。

 さらに、斬り込み隊長の高倉照幸外野手が阪急・梶本隆夫から左ヒザに死球。車で病院に運ばれたが、高倉より大変だったのが病院まで先導した白バイだ。ふたの開いたマンホールに突っ込み、1回転。運転していた巡査が左手首骨折、右肩脱臼する事故があった。

 福岡の人はお祭り好きというのか、平和台のオープニングゲームもにぎやかだった。

 4月26日の南海戦だが、試合前に、軍服姿の米空軍音楽隊によるパレード、紋付き袴に白ハチマキ姿の香蘭女学院の生徒150人による黒田節の熱演もあった。

 西鉄のユニフォームは1954年の日本シリーズからのモデルで変わらず、ビジターの胸文字はこの年の開幕当初、NISHITETUで変わらなかったが、途中FUKUOKAに変更になっている。

 その新ユニフォームの贈呈式がこの日の試合前に行われた。西鉄が1億5000万円をかけて改築した球場を福岡市に寄付。福岡市からはお返しにFUKUOKAの胸マークのビジターユニフォーム40着が贈られたということだった。
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