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日大三高監督を退任する小倉全由監督は「日本一、幸せな監督」 クビになった4年間は財産

 

最後のシートノック


日大三高・小倉監督は3月限りで退任する。甲子園で全国制覇を遂げた2011年の卒業生からユニフォームが贈られた[写真=BBM]


 3月22日は教員として、練習における最後のシートノックだった。東京都町田市内の日大三高グラウンドには、約150人の野球部OB・OGが集まった。各ポジションで卒業生3人がノックを受け、ファウルグラウンドではOBからかけ声。その後、新2、3年生が指揮官による愛情たっぷりの打球を受けた。ネット裏のスタンドには教職員、吹奏楽部、チアリーディング部のほか、一般生徒も大声援を送った。母校で指揮して26年、最高の花道。この光景こそが、小倉全由監督(65歳)が多くの関係者に慕われた人望の厚さである。

 この日はWBCで侍ジャパンが3大会ぶり3度目の優勝。小倉監督は「世界一」から、あらためて気づかされることがあったという。

「野球は科学的になったりしていますが、やはり、最終的には人なんだな、と。メキシコとの準決勝で見せた最後まであきらめない姿勢。選手たちも『最後は気持ち』と。便利な時代になっても、やはり、根底は変わらない。機械が野球をやっているわけではない。一生懸命やることの大事さを、学びましたね」

 大会MVPに輝いた大谷翔平は、2012年に高校日本代表を監督として指揮した際の選手だ。

「当時、高校生にして『アメリカで一からやるんだ!』と言ったのが、今の大谷選手の芯の強さにあったんだな、と。研究心、計画性があり、一歩も二歩も進んだ考えを持っていました。素晴らしい素質があり、野球に対する意識の高さ、生活面でも謙虚で真面目な高校生。今の大谷選手を育てていると思います」

 野球への情熱は不変である。しかし、自らユニフォームを脱ぐ決意をした。小倉監督は3月限りで、日大三高の監督を勇退する。日大三高、日大を経て1981年4月に関東一高の監督に就任。87年春のセンバツで準優勝へ導くも、89年3月に退任。92年12月に監督に復帰し、94年夏の甲子園へ出場した。97年4月に母校・日大三高の監督に就任し、2001年夏、11年夏に全国制覇。関東一高で春2回、夏2回、日大三高で春7回、夏11回の甲子園に出場し、通算37勝(20敗)を挙げている。

一切の悔いはない


日大同校教職員、OB教職員からも感謝を込めた色紙が贈られた[写真=BBM]


 3月23日は、教員生活最後の日。小倉監督は出勤すると、朝から教員室で対応に追われた。教職員、生徒から感謝を込めた色紙が何枚も渡され、自著にもサインを求められた。午前中の修了式では、全校生徒の前でこう話した。

「いつも野球部を応援してくれてありがとう。『練習は嘘をつかない』という言葉が好きでした。皆さんには、無限の可能性がある。何事にも一生懸命取り組み、素晴らしい人生をつくり上げてください」

 12時からは職員会議が開かれ、離任式が行われた。小倉監督は教職員の前で、40年以上にわたる教員生活をこう振り返っている。

「関東一高でクビになった4年間が、今の自分の財産です。野球とは無縁の教員生活の中で、生徒指導をどのようにやらないといけないのかを考えました。自分を作った時間です。4年後、監督に復帰させていただき、甲子園出場。その後、当時の理事長から『三高を強くしてほしい』と声をかけていただき、以降、26年にわたりお世話になりました。千葉の九十九里に家があり、学校まで約120キロ。1、2週間に1回は帰るんですが、24時間指導で、他の学校にはない小倉と選手の関係の中で、応援していただける野球部になった。この男についてきてくれた。感謝しかないです」

 2月9日に野球部の全部員の前で退任を発表して以降、小倉監督の下には卒業生の訪問が絶えない。「ユニフォームを着ても、そのままグラウンドに出られないなんてことも……」。野球部の教え子だけではなく、社会科(倫理)の教諭、担任として教えた同校のOB・OG、野球部の支援者ほかが、生活拠点である三志寮に足を運んだ。全国制覇を遂げた2011年の卒業生からはユニフォームが贈られ、教職員、OB教員からの色紙……。「置くスペースを確保するため、九十九里の家をリフォームしないといけないですねえ」と冗談交じりに笑う。

 一切の悔いはない。

「定年の65歳を節目にしようと思っていました。ここ最近はヒザと肘の状態が思わしくなく、ノックが納得のいく形で打てませんでした。打てなくはないんですが、ストレスになっていた。私は1回、クビを経験している。自分から上がることを決められたのは、幸せです。良い環境、学校も温かく応援してくれ、良い生徒に恵まれました。甲子園で何勝したとか、甲子園に何回出たとかではなくて『日本一、幸せな監督』だと、思っています」

他校で指揮する意思はない


後任監督は小倉監督と26年コンビを組んだ三木部長[右]が務める[写真=矢野寿明]


 後任監督は26年、コンビを組んできた三木有造部長が、伝統校のバトンを引き継ぐ。すでに3月4日の対外試合解禁以降は、三木新監督がベンチでさい配している。

「三木先生とは26年、一緒にやっていますから生徒たちも同じ野球で、不安なくやってくれている。もっと濃い色、三木先生のカラーにしてほしいと思います」

 3月31日は帝京高との練習試合が組まれている。東京のライバル校との一戦が、小倉監督の最後のユニフォーム姿だ。「ラストさい配」に対しては、慎重に言葉を並べる。「三木先生からは『(指揮を)執ってくださいよ!』と言われていますが、自分のためではなく、春の大会へ向けた大事なゲームととらえています」。小倉監督らしい、現場への配慮だった。

 この一戦を最後に、日大三高での教員生活26年のほとんどを過ごした三志寮を離れるという。何より、夫人との時間を大事にしていく。

「家で野球から離れて、ボーッとするのも良いかな、と。趣味らしい趣味もないので、不安ではありますが(苦笑)。自分で上がることを決めたので、寂しさよりは、野球しかない自分がどうなるのか、楽しみにしています」

 他校で指揮する意思はない。だが、しばらくすれば、白球への思いは再燃するだろう。監督という立場だけではなく、発信力のある小倉監督には活躍の場がたくさんあるはず。多くの人も、学びの場を求めるのは間違いない。

文=岡本朋祐
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