1986年のベストナインから
1986年、ロッテで3度目の三冠王に輝いた落合
第1回WBCを制して、世界の頂点に立った日本。現在は完全に定着しているが、侍ジャパンの愛称は第2回からのものだ。ただ、波乱万丈の大会を制した男たちは、まさに侍の風格があった気がする。第1ラウンド(アジアラウンド)は連勝で第2ラウンドへの進出を決めたものの、ライバルの韓国には逆転で敗れ、第2ラウンドでは初戦のアメリカ戦で明らかな誤審で判定が覆された結果、サヨナラ負け。第3戦で再び激突した韓国にも敗れた。だが、アメリカがメキシコに敗れたことで3チームが1勝2敗で並んで、失点率の差で日本が勝ち上がる。準決勝で韓国に完勝、決勝ではキューバに快勝。この2試合のうち、名勝負といえるのは、やはり準決勝だろう。
イチロー(マリナーズ)が「同じ相手に3度も負けるのは許されることではない」と言っていたほど雪辱を期したゲーム。結果は6対0と一方的なものだったが、6回までは両軍ゼロ行進で、四番の
松中信彦(
ソフトバンク)がヘッドスライディング、不振で控えに回っていた
福留孝介(
中日)が代打で先制2ランなど、随所に“元祖・侍”たちの気迫を感じた試合だった。
さて、この第1回WBCはファンが待ちに待った世界大会だったわけだが、言い換えれば、長いこと期待されていたということ。これが昭和の昔に実現していたら、どうなっていただろうか。今回は時計の針を20年ほど巻き戻してみたい。従来は各チームのベストオーダーを参考に夢を紡いできたが、WBCそのものが夢のようなもの。第1回の20年前、1986年のベストナインから守備位置を変えずに、第1回WBC準決勝の先発オーダーにスライドさせてみよう。指名打者だけはパ・リーグの独壇場だが、その他のポジションはセ・リーグとパ・リーグに1人ずついるから、86年の成績を参考に1人を選んでみる。
ちなみに実際の86年はセ・リーグで
阪神の
ランディ・バース、パ・リーグではロッテの
落合博満が2年連続で三冠王に。日本シリーズは初めて第8戦に突入して、
西武が
広島を破って日本一の座を奪還したシーズンだった。
1(中)
秋山幸二(西武)
2(二)
辻発彦(西武)
3(右)
吉村禎章(
巨人)
4(指)
石嶺和彦(阪急)
5(左)
山本浩二(広島)
6(三)落合博満(ロッテ)
7(一)
清原和博(西武)
8(捕)
達川光男(広島)
9(遊)
石毛宏典(西武)
(投)
北別府学(広島)
実際のオーダーは?
投手は勝ち星と防御率ともセ・リーグの北別府学がパ・リーグの
渡辺久信(西武)を上回っていた。捕手は達川光男を本塁打では上回った
伊東勤(西武)が控える。一塁はセ・リーグがバース、パ・リーグが
ブーマー・ウェルズ(阪急、現在の
オリックス)と助っ人だったため、日本一チームの西武からプロ1年目の清原和博を引っ張ってきた。ほかにも86年のベストナインには三塁に
レオン・リー(
ヤクルト)、外野に
ウォーレン・クロマティ(巨人)ら助っ人がいる。
二塁は
篠塚利夫(巨人)を打率、打点で抑えた辻発彦で、三塁は三冠王の落合だ。遊撃は無冠ながらMVPの石毛宏典に、攻守走の三拍子がそろった
高橋慶彦が控え。ベストナインの外野は守備位置ごとではなく外野手として3人が選ばれるため、当時のベストオーダーを参考に守備位置を決めた。左翼は現役ラストイヤーの山本浩二のみ。中堅には
新井宏昌(近鉄)もいるが、86年は三塁も多かった秋山幸二に。右翼は吉村禎章を
横田真之(ロッテ)がバックアップ。指名打者は打率3割、30本塁打を突破した石嶺和彦(阪急、現在のオリックス)だ。
絶頂期の落合が四番に入るなど打順の調整は必要だろう。第1回のメンバーにも負けないオーダーが完成するはずだ。では、続きはファンの皆様の夢の中で。
(第1回WBC準決勝の先発オーダー)
1(中)
青木宣親(ヤクルト)
2(二)
西岡剛(ロッテ)
3(右)イチロー(マリナーズ)
4(指)松中信彦(ソフトバンク)
5(左)
多村仁(横浜)
6(三)
今江敏晃(ロッテ)
7(一)
小笠原道大(
日本ハム)
8(捕)
里崎智也(ロッテ)
9(遊)
川崎宗則(ソフトバンク)
(投)
上原浩治(巨人)
文=犬企画マンホール 写真=BBM