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冷静と情熱の野球人 大島康徳の負くっか魂!!

大島康徳コラム第129回「WBC編6 連載も一区切りです」

 

世界一の集合写真。僕はどこでしょう?(ヒントは端っこ近くです)


鬼か仏か編集長


 最近、朝の元気スイッチがなかなか入りません。祭(トイプードル)がいないからです。

 息子たちも祭の“ごはんちょうだい”の“ワンワン!”で目を覚ましていたらしい。その声を聞いて“今朝も祭は元気だな”と安心していたそうです。今は、目覚まし時計で起きるようになり、“寂しい”と言っていました。僕も同じです。祭、会いたいな……。

 今回で連載129回目。当初の50回予定が100回になり、いつしか超えてしまいました。“おぎゃあ”と生まれたときからの話も、今は2006年のWBCの話です。WBCの後、僕はプロの世界ではユニフォームを着ていませんが(今のところはですよ!)、まだまだネタはたくさんあります。

 ところがです! 鬼の編集長から突然、「そろそろ区切りをつけましょうか」と通告を受けてしまいました。「こいつ鬼やな。そういえば意地悪そうな顔してやがる」と思いましたが、仕方ありません。始まりあるものには必ず終わりあり、です。ところがところが、です。「これからはフリーテーマで、大島さんが興味ある球界のネタについて書いてください」と言ってきた。鬼じゃなかった、仏だった! 要は、今回で「大島康徳半生記」はひと区切りと言いたかったようです。言葉の足りない鬼、いや仏の編集長です。

 気持ちを切り替えて、WBC編第6弾です。前回はビバ・メヒコ!ビバ・ボブ? で奇跡が起こり、決勝ラウンドに行ったところまで書きました。

 ただ、アジアラウンドから続く、打線の不振が解決したわけではありません。特に深刻なのは、三番に置いた福留孝介(当時中日)の不調でした。打線がぶつ切りになり、得点力が上がりません。短期決戦では、結果が出ないと「何とかしなきゃ」と自分で自分を追い込んでしまいます。我慢しているうちに打ち始めることもありますが、このときの福留は・・・

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中日、日本ハムで主軸打者として活躍し、日本ハムでは監督も務めた大島康徳氏が自らの一風変わった野球人生を時に冷静に、時に熱く振り返る連載コラム。

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