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冷静と情熱の野球人 大島康徳の負くっか魂!!

大島康徳コラム「高木守道さん、さすが野球人です」

 

74年の日本シリーズでは優秀選手賞となった守道さん


努力を見せない人


 ここ数年で、球界のスーパースターと言われた方が次々と亡くなっています。しかも、星野仙一さん、衣笠祥雄さん、金田正一さん……。僕が大好きだった先輩方が次々と。避けられることではありませんが、それでもやはり、寂しいな。センさん、キヌさん、カネさん、僕は、もっともっと皆さんと話をしたかったです。一緒に笑いたかったです。

 年が明け、1月17日、今度は高木守道さんが亡くなられました。正直、びっくりしました。直前までお元気だと聞いていただけになおさらです。

 守道さんとは、ドラゴンズ時代に現役選手同士、コーチと選手、監督(86年途中からの代理監督時代)と選手でやっています。

 選手時代の話でいえば、僕が入団した1969年、守道さんは、もう押しも押されもせぬスター選手で、「むっつり右門」(知ってます?)の異名のとおり、とにかくしゃべらない人でした。

 野球に関しては天才的で、なんでもできた。守備では捕球、送球もそうですが、「えっ、ここにいるの?」というポジショニングやカバーリングをする人でした。打者の傾向や投手の配球がすべて頭に入っているだけではありません。カバーリングというのは、万が一への備えです。無駄になって当たり前。しかも守道さんは、100回に1回くらいは必要になるかも、というところまでケアした。「内野手の一塁への悪送球を1回、アウトにしてみたい」と言っていた話も聞きましたが、常に一歩先を見ていた人でした。

 ひがみもあるかもしれないけど、だから自分の目線で僕らヘボい選手を見て、「こんなこともできんのか」って思っていたこともあったような気がします。覚えているのは、僕がライトを守っていたとき、セカンドの守道さんとの間に打球が来た。「OK、OK」と言って捕るつもりで追いかけたら、ブワ〜ッとすさまじい勢いで高木さんが来てボールを捕ると、一言、「お前のボールだろ!」と。「そんなのないでしょ。あんたが勝手に捕ったのに」と喉まで出かかりましたが、もちろん、言えるわけがありません。あとで思うと、守道さんにとっては僕の追い方が危なっかしく見えたのでしょう。でもね、守道さん、できんもんはできんのですよ。

 代名詞とも言われたバックトスはコーチだったカールトン半田さんから教わり、延々、練習をやっていたという伝説がありますが、その練習を僕は見ていない。というか、あの人は努力を見せなかった。落合博満もそうでしたが、超一流の選手の特徴かもしれませんね。バックトスは練習でやってみたことがありますが、コントロールがつかない。距離感が難しくて、間違えると浮いてしまうんですよ。

 たぶん、守道さんは、肩自体がそう強いわけではなかったので、リストの強さを生かし、1秒でも時間を削ろうとしたんだと思います。最初のころ、当時の監督だった水原茂さんに「やめろ」と言われてもやったと聞いています。おそらく、反骨心と信念ですよね。上からやめろと言われてもやる、というのは単なるわがままじゃありません。失敗したら、ほされてもおかしくない。それをあえてやって、しかも、見事に決めてしまう。これこそが職人の意地です。

 僕が守道さんのプレーで一番印象に残るのは・・・

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中日、日本ハムで主軸打者として活躍し、日本ハムでは監督も務めた大島康徳氏が自らの一風変わった野球人生を時に冷静に、時に熱く振り返る連載コラム。

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