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あの時代の記憶 恩師が贈る言葉

森脇稔(鳴門高監督)が贈る 河野竜生(鳴門高→JFE西日本→日本ハム)へのメッセージ 「すべてにおいて、子どもの見本になるような選手になってもらいたい」

 

どんな選手であっても、プロへの道程において多くの教えを授かった「恩師」と呼ぶべき存在がある。ルーキーイヤーの昨季はプロ初勝利を含めて3勝をマーク。2年目の今季、先発ローテでフル回転が期待される河野。社会人を経て入団した度胸満点の左腕の土台は、高校時代につくられた。母校の恩師が当時を語る。
取材・構成=高田博史 写真=BBM


 河野とは年末に、ウチのグラウンドで会いました。「1年間どうだったか?」という話とプロの厳しさ、フォームが安定せんかったようなことを話していましたね。

 プロ1年目の成績(3勝5敗、防御率5.07)は不本意だったと思いますけど、何かつかんだような感じで吹っ切れとった感じがしましたね。プロというものがどういうものか、初めて経験して。私も「来シーズンやな」っていうことを話したんですけど。

 人間的には、もちろん高校時代よりしっかりしていますよ。社会人野球に行ってから変わりましたね。周りを見られるようになってきたというかね。視野が広くなってきた。中学時代はそんなに見ていないんですよ。小学4年のときかなあ。たまたま見たんです。「ええボール放る。あの左がええなあ」って。それが河野だった。

 入学してきたときから風格があるというか、1年生らしからぬふてぶてしさはありましたね。ドンと構えているような。物おじせん雰囲気でした。巡り合わせがあるんですよね。同年代に河野を含めて3人、いいピッチャーが入ってきて、3人とも力強いボールを投げていた。高校1年生にすれば、ですけどね。夏に向けては、この3人を中心にせないかんなあという思いでした。その中でも「河野が軸だろうな」という感じがありました。ある程度、まとまっていたというか。私が見た中で、1年生であれだけのボールを投げているヤツは歴代いなかった。

典型的な負けず嫌い


高校3年の夏にはエースとして甲子園8強。河野は4試合に投げ、チームをけん引した


 高校時代は順調でしたね。やっぱり体が強いのと、フォームのバランスは悪くなかったというかな。ウチの練習は走る。そんなにウエート・トレーニングばかりをガンガンやるチームとは違うから常にランニングを中心にやっている。河野に特別な指導をしたっていうのはないです。

 いつかはプロに行きたいという気持ちはあったと思います。こちらに「こういうふうに育てよう」みたいな考えはなかったです。ただ故障させないように、という部分が一番やね。そう言いながら、体は強かったから。3年間を振り返ったら1年生から投げているわりに、大きな故障はまったくしていないです。

 練習は先頭に立ってよくしていました。センス的にはあいつが一番良かったけど、同級生のピッチャーに身長や体格で見れば負けとったからね。典型的な負けず嫌いです。基本的に「何しても負けたくない」っていう気持ちがあったから、言わなくても練習していました。

 こちらもうまくプライドをあおるように「目標を高いところに置くなら、やらないかん」と話して。強いチームとの対戦になるとグッと燃えてくる気性は、ほんまにピッチャータイプの性格ですよ。

 彼は甲子園を経験しながら成長していった。やらないかんという目標が、自分自身をどんどん高めていったのではないかなと思います。あいつのことやから「全国でもやれる!」っていう気持ちはあったと思うんですけど、甲子園ではことごとく鼻をへし折られましたから。

 甲子園には3度出場しましたが、1年生のときは4イニング、2年生のときは6イニングもたなくて、まだまだ全国の強豪にはかなわなかった。そこでクシュンと落ち込むより、「よし、やったるわ!」って前向きにとらえて、目標にできたところが良かったのと違うかなあ。そういう性格だからいいんでしょうね。

 記憶に残るピッチングは、やっぱり3年夏の甲子園、智弁学園高との2回戦(5対2で勝利)かな。初回に2点取られても、辛抱強く投げていた。四球が2つと少なかった。これが大きかったんですよ。カウントが3-2になるような場面がいっぱいありながら、粘ることができた。右打者への外角のチェンジアップが決まって、非常に有効でしたね。河野の場合、内角へのコントロールがいいんだけど、あの試合では外角へのボールが決まっていたから、引っ掛けたりしたバッターが多かったね。チョコンと当てて二ゴロとか。まあでも、どうにかこうにか最後に甲子園で形を作れました。


 JFE西日本に進んで、カーブが良くなりました。高校時代、カーブは封印させていたんです。カーブのときはフォームが緩む。「あかん。絶対バレる。ええバッターにはバレるけん、カーブはやめ!」と言いました。社会人野球で緩みがなくなってカーブがしっかり投げられるようになったことで、ストレートも良くなってフォームのバランスが安定した。逆にフォームが良くなったから、カーブが投げられたとも言えますね。だからピッチングのレベルが上がった。

制球に苦しんだ1年目


 ルーキーイヤーの投球を見ていると自滅が多かったように感じました。私はコントロールやと思う。昨年は被本塁打も多かった(9本)。長打を打たれたらいかんというので、厳しいコースに投げていたら、球数が多くなってフォアボールを出してしまう。先日「お前、誰に打たれた試合が一番キツかったんな?」って聞いたら、楽天の浅村(浅村栄斗)選手にライトに運ばれた一発だと(6月24日、楽天生命)。カウントでは追い込んでいたのに1-2から打たれた。プロはちょっと甘くなると打たれる。プロのバッターのすごさというものを肌で感じられたんだと思います。

 やっぱり、プロでは太く長くやってもらいたい。トレーニングや体調管理をきちっとしながらやればいいと思います。今は息の長い選手が多いじゃないですか。そういう選手を見習いながらやってほしいです。

 月並みやけど私が言いたいのは、子どもの見本になるような、手本になるような人間になれということ。身だしなみも生活もそうやし、野球のプレーも取り組む姿勢もそう。すべてにおいて、子どもの見本になるような選手になってもらいたい。人として今以上に成長して、みんなから尊敬されるような選手にね。


PROFILE
もりわき・みのる●1961年4月7日生まれ、徳島県出身。鳴門高-法大。高校時代は二塁手、主将。法大ではマネジャーを務めた。85年から10年間、母校・鳴門高で監督を務め、潮崎哲也(元西武)らを育てた。2007年、鳴門高監督に再就任。甲子園には春2回、夏8回出場し、13、16年の夏8強など通算10勝を挙げている。社会科教諭

PROFILE
かわの・りゅうせい●1998年5月30日生まれ。174cm 84kg。左投左打。5歳のときに兄の影響で野球を始め、小学1年時に林崎スポーツ少年団に入団。鳴門第二中では軟式野球部に所属。鳴門高では1年夏から主戦格としてマウンドに上がり、夏の甲子園には3年連続出場(3年夏は8強)。2017年に入社したJFE西日本では1年目の日本選手権では準優勝へ導き、敢闘賞。20年にドラフト1位で日本ハムに入団。左の先発候補として期待される22歳

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