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新球団社長が語るコロナ禍の球団経営

新球団社長が語るコロナ禍の球団経営 インタビュー/木村洋太 1998年を超える熱気をハマスタに起こせ!

 

4月1日付で、横浜DeNAベイスターズ代表取締役社長に就任。副社長からの内部昇格ということもあり、球団内部のことは熟知する。コロナ禍という難題を抱えた、難しい時期でのトップ就任となったが、今後どのような方向に舵を切っていくのか。横浜で生まれ、横浜で育った“ハマッ子”新社長にビジョンをうかがった。
取材・構成=滝川和臣 写真=BBM


野球ビジネスへの思い


 38歳、若い球団社長の誕生だ。初代の池田純氏が35歳での就任だったことを考えれば、この球団では驚くべきことではないのかもしれないが、それにしても若い。前任者2人と異なるのは、球団職員出身の“生え抜き”の社長である点だ。閑古鳥が鳴いていた横浜スタジアムのスタンドを満員にするなど、横浜DeNAベイスターズの成長に尽力。理系出身の優れた分析力、ロジカルな思考で副社長時代から組織を成長へと導いてきた。

──社長に就任されていかがですか。

木村 友人、知人からメールやLINEが来て、反響が大きい業界だとあらためて思いましたね。

──横浜で育ち、野球が大好きだったようですね。

木村 ベイスターズが1998年に優勝したとき、私は高校生。街はものすごい雰囲気でした。横浜スタジアムの熱気もいつもと違ったし、本当にスタンドが揺れていましたから。あれ以上の雰囲気、熱を再び球場につくり出したいです。

──出身は、東大の工学系研究科航空宇宙工学専攻。

木村 飛行機、ロケット、ヘリコプターなど簡単に言えば飛ぶモノの力学を学ぶところでした。流体力学、機械工学などですね。子どものころはロケットや飛行機のパイロットへのあこがれもあって、その方面のエンジニアになりたいと思い学科に入ったんですが、研究などしている過程でちょっと向いてないかな? と感じたんです。

──卒業後は、経営コンサルタントに就かれます。

木村 理系ではありますが、私がいた研究室では文系に就職する学生も多かったです。当時のコンサル業界は、文理半々くらいでした。

──2012年に横浜DeNAベイスターズに入社されます。

木村 DeNAが球界に参入したのが、11年12月。私は12年の3月入社で、オープン戦の時期でした。

──経営に携わりたい気持ちが強かった。

木村 そうですね。自分の大好きな野球界に何かしらの形で貢献したい、より良くしたいという気持ちがありました。入社以来、マーケティング、ファンクラブ、ウェブコミュニケーション、チケットを担当し、入社4年目以降に経営戦略に携わるようになりました。その後は、事業全体を見るようになりました。

──初代の池田純社長、前任の岡村信悟社長の時代を通して、球団の成長を間近で見てこられました。

木村 池田が強いリーダーシップで組織をまとめ、豊かなアイデアで新しいことに挑戦する姿勢を近くで見てきました。日本球界のセオリーとは違ったかもしれませんが、それでも物事を大きく変えられることを学びました。岡村は比較的メンバーを信頼するタイプ。会社を大きくしていくためには個々が成長していくことの大切さを感じました。19年までの8年間は事業規模が大きくなるとともに、会社の中の考え方や組織の体制が成長していった期間だったかなと。昨年からのコロナ禍でいろいろ崩れたこともありましたが。

──木村社長は、自身をどういうタイプだと。

木村 「いいとこどり」をしたいなと思います。私は一職員から上がってきているので会社の細かい部分にまで気づく機会はこれまでの2人よりは多いと思います。細部に気づくのだけれど、任せるところは任せる。でも、「これは!」というアイデアは出していきたいなと。全部が全部自分でやろうとすると、これまでの9年間で会社が大きくなってきた流れとは逆行すると思うので、バランスを取ってやっていきたいです。

──過去に球団で携わった中で印象深い事業は。

木村 一番大きかったのは、2016年の横浜スタジアムの買収。それによる経営の一体化ですね。球団として大きなターニングポイントだったと思います。

16年に球団は横浜スタジアムを買収。木村社長は、前回優勝した98年を超える熱気をハマスタに生み出したいと語る[写真=(C)YDB]


──球団と球場の一体経営が加速した。

木村 はい。経営的な安定感だけではありません。一体化することで、球場改修、ベイスターズビールなど飲食も含めてお客さんにもメリットがあった。また、ハマスタを買ったということは、ベイスターズは横浜の球団であり続けるという前提を明確にしました。ファンの皆さまにとっても、“おらが町のチーム”感はより強くなりますし、さらにいえば地元の経済界、行政にとっても横浜の球団であると意志表示になったと思います。ともすれば、いつ球団が移転するのか分からないという根も葉もない噂が立った時期が過去にはありましたから。

コロナ禍のチャレンジ


──就任会見では、新型コロナ禍ではあるが新しいチャレンジをしていくと発言していましたが、具体的には。

木村 コロナ禍で生まれた技術が今後に生きることもあります。昨年テストした、入場の際のチケットのもぎり(半券回収)で人との接触を避けるためのQRチケットもその一つです。定着していけばチケットのデジタル管理が進む。それによって急用が入って試合に行けなくなったときなどのチケットのやり取りがスムーズに行うことができます。

──チケットの二次流通は他球団やメジャーでもトライされています。

木村 そこから一歩進んで、好立地の横浜スタジアムであれば試合の前半と後半で観客が入れ替わることもありえると思います。何らかの事情で、5回で席を立たなければならなくなったファンがいた場合、途中から観戦したいファンはデジタル上で確認して「あっ! 20時から行こう」となるかもしれない。そうなると横浜スタジアムのキャパシティーである3万4000人を超えるファンが野球を楽しめる可能性もある。今トライしていることが、今までイメージしていなかった世界を生む可能性もあるわけです。今年は一つでもそうした種を見つけるシーズンにしたい。感染対策だからといって、それだけに閉じずに、次につながる発想を持っておきたいですね。

熱心なファンがチームを支える。今季は開幕から勝ち星に恵まれなかったが、4月4日の広島戦[横浜]で初勝利


──VRによる観戦『バーチャルハマスタ』などさまざま取り組まれていますが、バーチャルがリアルを超える日が来ると思いますか。

木村 お客さんが半分減ったから、バーチャルだけでそれを補おうとは思っていません。バーチャルと何かを組み合わせて、収益を得たいという思いはあります。ほかに今、「家飲み」が増えていますが、「家飲み」のビールがベイスターズビールになってくれたらいいなとも思います。それは新たな方法論になるかもしれない。デジタルだけではなく、アナログ的な方法も含めていくつかの方法で、今後新たなコロナ禍のような事態が起きても、安定した経営ができる手法を模索していきたいです。

──今季はイベントも仕掛けづらいように感じます。

木村 おっしゃるとおりです。多くのお客さんが入ってくれないとイベント自体も盛り上がらない。昨年あらためて思ったことは、ベイスターズはあたかもわれわれのスタジアムでの演出が優れているからお客さんが増えたような言われ方をしますが、それよりも演出を楽しんでくれるお客さんがいるからこその広がりだと思います。昨年のように無観客でサヨナラ本塁打が出るのと、3万人の中で出るのとでは野球を見ているほうの体験価値が全然違う。そういう意味で、お客さんとも相乗効果でつくり上げてきたものなんです。イベントだけを単発でやっても同じ効果が得られないというのは、あらためて頭に入れて、今後どうしていくかを考えていく。スタンドで声は出せないけれど、お客さんが盛り上がってもらえる方法。感情の表し方を考えていきたいです。

──コロナ禍が過ぎれば、ファンはすぐに戻ってくると考えていますか。

木村 そう簡単には戻らないと予測しています。当然、優勝した98年のように優勝争いをすれば熱量はすぐに上がってくるとは思いますが、そうした要素を抜きにすると、今シーズン3万人の入場が許されても必ずしも3万人は集まらないでしょう。コロナで生活様式、生活習慣が変わっています。例えば、これまで神奈川県に住む方が都内に勤めていて、通勤の道すがらハマスタに通っていたのがリモートワークになり、自宅から出ないという方もいるかもしれない。逆もしかりで、ハマスタの近くに住んでいて、リモートワークが終わったら、すぐにナイターに来れてしまう方もいるかもしれない。ですから、一昨年のファンがそのまま球場に来ていただけるとは思っていません。

──そうした変化にどうアプローチしていきますか。

木村 新しいライフスタイルをわれわれが提案していくことも可能でしょう。球場近くにワーキングスペースを提供して、ベイスターズを感じられるリモートワークをしていただいて、そのあとに球場に来るとか。コロナ禍によって人々の趣向が変わってくるかもしれない。しっかりとアンテナを張って新しい活動を見極めながら、そこにあったアイデアを打っていきたいと考えています。

──社長としての今季、目標をどこに定めますか。

木村 チームの優勝をこの目で見たい、というのが当然あります。事業的な面でいえば、早く自分の役割がなくなっていくことがいいことなのかなと。会社の中では次々と新しい人材が育っていく。それが本当の意味で会社の成長になっていくと思います。願わくば、ベイスターズでいろいろな経験を積むと、スポーツビジネスをやっていく上で、どこに行っても活躍できるという人材輩出のエンジンとなれればいいですね。外からも受け入れるし、外にも人材を輩出していくような、活気のある組織でありたいなと思っています。

「バリバリの理系で分析力に優れるけれど、情熱のある方」と南場智子オーナー[右]からの信頼も厚い[写真=(C)YDB]


PROFILE
きむら・ようた●1982年7月3日生まれ。横浜市出身。2007年3月に東大工学系研究科航空宇宙工学専攻修士過程修了。卒業後はBain and Company東京支社を経て、12年3月に横浜DeNAベイスターズ入社。18年執行役員 事業本部 本部長、19年取締役副社長、21年4月より代表取締役社長に就任した

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