週刊ベースボールONLINE

張本勲コラム

良き指導者との出会いは、上達には欠かせない存在。私の師匠は松木謙治郎さんだった【張本勲の喝!!】

 

筆者の師匠の松木謙治郎。のちに東映の監督も務めた


完璧な打者になれ


 阪神が好調だ。20試合を戦い終えて16勝4敗とセ・リーグの首位を走っている。投打のバランスがよく、選手たちも結果が出ていることもあって思い切りプレーできている。巨人が少しもたもたしていることもあるが、そのうち上がってくるだろうから今のうちに貯金を稼いでおくことだ。勝てるときに勝っておくのが勝負の鉄則。油断した途端、ズルズルと後退していく。まだ先は長い。目の前の試合の勝利を全力でつかみにいくことだ。

 阪神と言えば注目のルーキー・佐藤輝明だ。打率は低いが、本塁打は5本を記録している(4月22日現在)。当たれば飛ぶという感じだ。ただ三振も多く、佐藤輝自身もオープン戦と公式戦の違いを痛感しているはずだ。一流投手の球は簡単には打てない。それを打てるようにし、プロの世界で成績を残していけるかどうかは、これから佐藤輝がどれほどの覚悟で自分の打撃に取り組むかだろう。そしてそのために必要なのが、その佐藤輝に情熱を持って打撃技術をたたき込める指導者だ。

 毎日の努力に自己管理。これは自分の心掛け次第で何とでもなる。しかし、良き指導者との出会いだけは自分の力では何ともならない。人と人との出会いというのは運やタイミングもあるからだ。選手にとって伸び盛りの時期に良き指導者に出会えるかどうかは大きなポイント。決して大袈裟(おおげさ)ではなく、選手生命を左右すると言ってもいいだろう。

 私にはいた。それが松木謙治郎さんだった。松木さんは現役時代、タイガース(現阪神)の中距離ヒッターとして活躍。首位打者と本塁打王のタイトルも獲得している。私が1959年にルーキーとして東映に入団したとき、松木さんは打撃コーチを務めていた。年齢は50歳だったから、私とは30歳近く離れていたことになる。今の私があるのは松木さんのお陰と言っていい。間違いなく私の師匠だ。今回はその松木さんと私の話をしよう。

 最初の出会いは1年目の春季キャンプだった。静岡県の伊東市で行われ、私にとってもプロに入って初めてのキャンプだった。あいさつをしたあと、早速バッティングを見てもらったが、松木さんはすぐに私の右手の弱さを指摘した。

 皆さんもご存じだと思うが、私の右手は小さいころの火傷の影響でひどい状態だった。野球をするには大きなハンディとなっていたが、もちろん松木さんにはまだ話していない。

「強い打球を放っているが、途中で失速してしまうのは右手の力が弱いからだろう」

 ズバリだった。それは自分でも感じていたことだった。また当時の私は大きな当たりを飛ばすことでも知られていた。打者にとっての魅力はホームランだ。しかし松木さんは私の右手の弱さを指摘し、その理由を話すと即座に言い放った。

「君はホームラン打者ではなく、中距離ヒッターを目指すべきだ」

 のちに聞いた話だが、松木さんは東映の名物オーナーとも言われた大川博さんから「何としても張本を開幕から使えるようにしろ」と厳命されていたようだ。松木さんの言い分はこうだ。

「たまに飛び出すホームランを打つ打者よりも、常にヒットを打てる完璧な打者になるんだ」

 より遠くへ飛ばすことよりも、内野手の頭上を痛烈なライナーで越すような打球を打て。それが私の生きる道だと言うのだ。当時のホームラン打者の多くは打撃そのものが粗かった。松木さんは私をそんな打者ではなく、毎シーズンのように3割を打てる打者にしたかったようだ。今とは比べものにならないほど投高打低の時代。私も納得し、その道へ進むことを決めたのだ。

理論と情熱と


 松木さんのマンツーマン指導は厳しかった。それでも歯を食いしばってついていけたのは、松木さんの打撃理論に納得し、その情熱が伝わってきたからだ。松木さんは絶対に技術の押し付けをしなかった。例を出して分かりやすく説明してくれるから、私も受け入れることができたのだ。「いいから黙ってやれ!」と命令するようなコーチだったら私も衝突していただろう。

 とにかく熱心な人だった。何としても私を一人前の打者に育てるという信念があった。どしゃ降りの雨の中でずぶ濡れになりながらも、私にトスを上げ続けてくれたことを覚えている。ノルマを達成するまで終わらない。私も必死だったが、松木さんも必死だった。私のためにこんなに一生懸命に指導してくれるコーチがいる。それだけで心強かったし、この運命的な出会いに感謝せずにはいられなかった。松木さんは翌年に退団することになったが、その後も私は調子を落とすと松木さんに連絡を取り、指導してもらった。

 今でも思う。あのときもし松木さんと出会わなければ、私のプロ野球人生はどうなっていただろうと。日本歴代最多となる3085安打は、松木さんの「ホームラン打者ではなく、中距離ヒッターを目指せ」という言葉とともに始まったのだ。のちに松木さん自身から、はっきりと言われたことがあった。

「お前をホームラン打者に育てようと思えば、それもできただろう。タイトルも一度は獲(と)れたかもしれん。けれどそれで打率が2割5〜6分あたりでは気に入らん。お前は足も速かったから、必ず常時3割を打てる打者になると見込んだのだ」

 松木さんは86年に77歳で亡くなったが、私にとって間違いなく打撃の師匠だった。私にとっての松木さんが、王貞治(巨人)にとっての荒川博コーチ、落合博満(ロッテほか)の高畠導宏コーチになるだろう。自分に合った良き指導者との出会いは、一流選手になるための条件とも言える。

 今年のルーキーたちにも、そんな出会いがあればと思う。やるのは自分だから、責任まで持てないから、と選手の自主性に任せてばかりのコーチも少なくない。打者なら打撃理論を勉強し、その選手に合った方法で徹底的に指導する。コーチは選手と本気でぶつかり、絶対に育て上げるという強い信念を持つべきだ。そんなコーチに出会えたら、選手にとってこれほど幸せなことはない。

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング