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記憶に残る変化球の使い手たち【立浪和義の超野球論】

 

1993年のデビューイヤーからスライダーを武器に活躍したヤクルト時代の伊藤智仁


球が消えた


 新型コロナウイルスの感染拡大が続き、野球界にも感染者が出ました。プロ野球の開幕もいつになるのか分からない状態ですが、1日も早い終息と、再び何の心配もなく、球場に足を運んでいただける日が来るよう祈っています。

 感染以外、球界の動きがほとんどありませんので、今回は少し昔話を書いてみます。

 ピッチャーの変化球についてです。バッターの誰もが苦手にするのがインコースですが、そこからさらに体に食い込んでくる球は、かなり打ちづらいものです。左バッターの私にとっては左投手のシュート系の球や、右投手のカットボール、スライダーになりますが、特に2人の右投手のスライダーが記憶に残っています。

 私は、基本的に右投手のスライダーに狙いを絞るということは、ほとんどありませんでした。ストレートとの球速差がそれほどないので、真っすぐ待ちでも対応できたからでもあります。気をつけたのは、引っ張りではなく、センター返しの意識を持つことです。よりボールを長く見られるので、ボール球の見極めもできます。

 ただ、この2人、ヤクルトにいた伊藤智仁投手、現在は広島の監督でもある佐々岡真司投手のスライダーには苦戦しました。2人の共通点は曲がりが非常に遅いことです。早めに曲がり始めれば、その変化量が大きくても対応できますが、曲がりが遅いので、真っすぐと思って振りにいくと、ヒザ元に球が消え、空振りか詰まった当たりにしかなりませんでした。フォームに真っすぐとの違いがあれば、まだ対応できたのですが、それもなかった。

 私は現役時代、右投手のカットボールに詰まったことはありますが、スライダーで詰まらされたのは、この2人だけです。まさに魔球でしたね。今の選手を見ても、あんなスライダーを投げる投手は誰もいません。

高めのフォークに衝撃


 フォークボールであれば、やはり横浜の佐々木主浩投手でしょう。この人が厄介だったのは、真っすぐが速く、フォークも、いろいろと投げ分けてきたことです。

 一般的なフォークなら、低めを真っすぐと思って振ってしまうこともありますが、ほとんどボール球になるので、フォークという意識があれば、ある程度、見極めることもできます。そして高めに抜けてきた半速球のような変化の少ない球を狙えばいいという感覚でいました。

 ただ、佐々木投手の場合、高めに抜けたと思ったフォークが、そこからナックルのように落ちてきてストライクになる球もあった。これに随分、苦しめられました。

 それだけに97年8月14日、草薙球場で、真っすぐでしたが、1本だけホームランを打ったときの記憶は、いまなお鮮明に残っています。

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