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裏方が見たジャイアンツ

香坂英典コラム 第49回 満塁男・駒田徳広(前編)

 

奈良の桜井商高から81年に巨人に入団した駒田。94年横浜に移籍し、2000年限りで引退


どれだけ怒られたんだ?


「コマダ! コマダ、コマダァー!」

 地上波でのテレビのプロ野球中継、日本テレビの吉田塡一郎アナウンサーが絶叫した。

 満員の後楽園球場のライトスタンドに白球が吸い込まれ、入団3年目のヤングボーイ、駒田徳広が鮮烈デビューを飾った。それもプロ初打席で満塁ホームランという快挙だった。

 1983年、ペナントレース開幕2戦目(4月10日、後楽園)の出来事で、当時先乗りスコアラーだった僕はデーゲームのその場面をちょうどテレビで見ていた。巨人満塁のチャンス。おっ? コマだ。相手投手は大洋・右田一彦だった。僕はこれまで二軍戦で両者が対戦していたのは記憶しており、確か、ファームでのこの対決はコマのほうに分があったのではなかったかということが頭を過(よぎ)った。

 その瞬間、コマは右田の高めに浮いたカーブを振り抜いた。それにしても見事な一打、ニューヒーロー、頼もしき若武者のヒノキ舞台での強烈アピールだった。駒田は80年のドラフト会議で2位指名、僕よりも1年後に入団してきた。身長190cmの長身、高校時代は投手も経験しており、僕はその投球フォームをよく覚えていて、同じ投手としてそのなかなかの素質を感じていた。まずは体の使い方がうまく、長身を生かした角度のあるストレートと大きく曲がり落ちるカーブのキレは、今もまだしっかりと僕の記憶に刻まれている。今であれば、まさに二刀流で旋風を巻き起こしてもおかしくない逸材だったのではないか。

 だが、そのコマは入団早々、投手を断念してしまう。本人いわく、その理由として、ガッカリしてしまう出来事があったという。多摩川グラウンドでの練習、初めてブルペンに入ったピッチングの相手が本職の選手の捕手ではなく、当時の副寮長だった村田(村田彰)さんだったのだ。

 村田さんは僕も巨人軍寮にいたころには、いろいろとお世話になった方だが、副寮長であり、われわれの移動手段である選手用バスの運転も務めていた。自衛隊出身で車両操縦技術に長けていた村田さんは自衛隊時代、その運転技能を高く評価されていた方で、その走りっぷりは目的地へ迅速にかつ安全に僕らを運び、大きな車幅、車長を持つ球団バスをいとも簡単に操った。巨人軍寮ではわれわれ選手への生活指導にも厳しい方だったが、村田さんは野球の経験がなく、それでも練習の準備や球拾いなども手伝ってくれていた。

 コマのピッチングの相手が村田さんだったというのは・・・

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