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堀内恒夫の悪太郎の遺言状

堀内恒夫コラム 第32回 「先発はまずは完全試合を目指し、常に9回をいかに投げ切るのか考えてほしい」

 

80年オフの200勝達成の祝賀パーティー。左から金田正一氏、筆者、王氏


俺の引き際の美学


 1980年(昭和55年)6月2日。さて、この日は何の日か分かるかな? 分かった人は相当な堀内マニアだね(笑)。この日は、俺が200勝した日。最初から「200」なんて大きな数字を目指していたわけじゃなくてね。目の前の1勝のために、がむしゃらにやってきた。自分の勝利数よりも、まずはチームの1勝。その積み重ねが200となればいい。そう思っていた。

 自分のピッチングに衰えを感じ、エースとしての役割が果たせないと感じ始めたとき、引退の二文字が脳裏にちらついた。打たれるのは怖くない。でも「投げるのが怖い」。そう思ったら落ちるのも早い。「このボールを投げたら、こう打つだろう」という予想と違う打たれ方をすると、投げるのが怖くなるんだよ。自分のボールに自信が持てなくなる。

 俺の引き際の美学は、過去の栄光とユニフォームにしがみつき、ボロボロになるまで野球をやるのではなく、

「まだ勝てるのにもったいない」

 そう惜しまれながらユニフォームを脱ぎたいとずっと思っていた。

 そんな俺に転機が訪れる。

 76年南海ホークスに移籍した江夏豊が野村(野村克也)監督の説得に応じて先発投手をあきらめ、試合終盤の2〜3回だけを専門に投げるリリーフ投手に転向した。これには理由がある。江夏は・・・

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堀内恒夫の悪太郎の一刀両断!

堀内恒夫の悪太郎の一刀両断!

「悪太郎」こと巨人V9のエース、堀内恒夫氏の連載コラム。野球人生の集大成。

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