背番号は選手たちの「もうひとつの顔」だ。ある選手が引退しても、またある選手がその「顔」を受け継ぐ。その歴史を週刊ベースボールONLINEで紐解いていこう。 ---- 大毎と阪急を率いた“悲運の名将” 阪急・西本幸雄 1950年の2リーグ分立から「50」を着ける監督が増えたことは「#40」でも触れた。その50年に東急、大洋、…