1989年まで指揮を執った関根潤三監督の下、若い選手たちがアイドルのような人気を誇ったチームだった。そこで90年から監督となったのが、ボヤキの知将・野村克也。しかし、“ID野球”は彼らの明るさを消すことなく、したたかさを植え付けた。野村監督退任後、優勝の頻度は落ちたが、個性が光るチームカラーは大きく変わらない…