現役時代から、現在の好々爺(こうこうや)としてのたたずまいに通じる“無欲の人”だった。 関根潤三は、法大で六大学リーグ通算41勝を挙げ1950年に近鉄入団。開幕投手を2度務めるなどエース級の活躍をしながら、7年目にあっさりと野手転向。その理由が「投手に飽きたから」というのもこの人らしい。 打者としても才…