背番号100が大川オーナー、30が水原監督、10が筆者 金は出すが口は出さない 私がプロの世界に足を踏み入れた1959年、入団した東映には大川博さんという名物オーナーがいた。大川オーナーは東京急行(東急)の事実上の創業者である五島慶太さんにヘッドハンティングされて東急に入社。五島さんの右腕として手腕を発揮し、東…