【1970-1977 南海兼任監督時代】「考える野球」「殺し文句」で健闘も最後はチームと絶縁に 力勝負の世界から「考える野球」の発想へと進化

  • 1954年、南海に入団してプロ野球人生のスタートを切った野村克也。しかし、当初はテスト生だったため、周囲の誰も、ましてや本人も、のちにプロ野球史に残る名捕手、名将になるとは思ってもいなかっただろう。栄光の野球人生の陰にあった数々の困難。それを乗り越えて超一流へと駆け上がっていった日々を振り返っていこう。

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